熊本地震以降、しばらくの間facebookを見る機会が相当減った。
地震とそれを巡る様々な情報や意見が飛び交い、そのソースの真偽が怪しかったり、主張される話が非論理的だったりすることも多くて疲れたのが理由だった。
いまに始まった話ではないけれど、facebookは若年層ユーザーが少ないと言われている。最近の記事でも、年代別ユーザーの数が明記されていないためにそんな憶測を生んだ。僕の周りでは、学生からリタイアした層まで多くの方が「ともだち」になっているけれど、若年層の投稿はそもそも少ない。大学で毎年行っているアンケートでも同様で、ほとんどの人がIDを持っているものの、週に一度覗いてみる程度という層が圧倒的に多い。
仲間内でLINE、有名人をフォローするのはtwitter、写真を撮ったらinstgramというのがフツーの流れだと思う。
今回の地震など、社会的に大きな事件が起きるたびに感じるのは、facebookが「政治化しているな」ということだ。
ここでいう「政治」とは、2つの意味がある。 >> 「政治化」するfacebookと若者。の続きを読む
言葉づかいの中でも敬語というのは日本語固有の問題なんだろうけど、最近気になっていて、多くの人が指摘しているのにあまり変化がないのが「過剰敬語」だ。僕の記憶では、このことを「かえって失礼」とハッキリ指摘していたのは、詩人の大岡信だった。もう20年くらい前ではないだろうか。「こだわり」というのも、広告コピーのせいで「いい意味」になってしまった、という話を書いていたりもした。
「それではご説明させていただきたいと思います」
これは「説明申し上げます」くらいで十分だと思う。過剰敬語だと大事なプレゼンテーションで、何か勢いがそがれるように感じるのだ。
最近、面白いなと思うのがフェイスブック内の言葉づかいで「シェアさせていただきます」というフレーズ。直接知らない人からの、情報だとこういう言葉になるんだろう。ある意味、人と人との距離感が素直に出ている気もする。
「シェア!」
「シェアします」
「シェアさせてください」
「シェアさせていただきます」
「シェアさせていただきたいと思います」
「シェアさせていただきたいと存じますがよろしかったでしょうか」
などというように、フェイスブック内でも距離感は微妙に使い分けられていくのだろうか。
そういえば中華料理の店などで大皿で料理が出てくると、店員が「こちらでおとりわけいたしましょうか」とか言うことがある。
「それではシェアさせていただきます」
もし、そんな言い方をしたら、その人はきっとフェイスブックユーザーに違いない。
facebookをそれなりに使ってみて思ったのは、他愛のない楽しさといった感じだろうか。あくまでも自分の周り、という限定だが話題になっていることって、幾つかのパターンがある。
「シェアネタ」というのは、ある期間にパーッと広まる。最近だと「幼稚舎の入試問題」とか「乗りそう予報」みたいなゲーム。「錯視」とかもあるかな。そして「いい話」が少しあって、その他は「お笑いネタ」というもの。「大人のあいうえお」とか「正義の味方と悪の組織」みたいなのこれは、結構前に見たようなものがfbで復活していることもある。
イベント・リポートは、やっぱり食が多い。実は気になって、適当に名前を検索して知らない外国人の知らない人のウォールを片っ端から眺めたのだけれど、食べ物の写真は殆ど見ない。日本的なのかな、誰か教えてくれ。そして、外食よりも手料理が多い気がする。スポーツは観戦というより参加。なぜかfb上では皆ジョギングで走り回っているようだ。で、旅行。友人よりも家族が目立つかな。
で、世間話があって、レビューなど。ただ、こうやって考えてみると存外にレビューが少ない気もする。あまり、深いことを書き込まないことがお約束になりつつあるのかもしれない。
でも、facebookの空気感はやはり「いいね!」ボタンによるところが大きいと思う。これは「like」の訳なんだろうけど、「いいね!」を押すときはどちらかというと「good!」に近い感覚になっているように感じる。しかも英語にはない「!」が曲者で実際の気分以上に盛り上がっているような錯覚を起こしているんじゃないかな。