先日、久しぶりにリアル書店に行った時のことを書いたら、昨日は神戸市内で中核書店が閉店したというニュースがあった。記事はこちらだが、ネットでも話題になっている。問題点はこちらの声の通りだろう。
記事の中で「ネットの”おすすめ機能”」が上がったことで、書店の優位性が脅かされたというが、僕はそうなのかな?と思う。
書店の、おすすめや分類も結構不思議なことになっているからだ。
先般、北斎関連の本を求めて大型書店に行った時、美術書のコーナーでは結局買わずに、一応歴史のコーナーへ行った。やはり芸術系の本は殆どなかったのだけど、久しぶりに歴史関連の棚を見ると、唸ってしまう。いや、あまりいい意味ではなく。
本棚には、いわゆる「仕切り板」がある。本の間に挟んでいる板で、メジャーな作家やテーマで分類される。
で、この書店は明治以降だと、まず「福沢諭吉」がドーン、とある。次はぐっと減って「後藤新平」が数冊。そして「北一輝」が3冊程度。作者名は他にはない。全体として荒涼としている。
かと思うと「戦争責任」という仕切り板もあるのだが、これも3冊くらい。書店の「思い入れ」というよりは「思いつき」にしか見えない。
そういえば、ネットでも同じだった。僕も「何でもamazon」というのもどうかと思って、一時期他のネットショップで買っていた。ところが、こちらには「スタッフのおすすめ」に合わせた作りになっていて、これがまた使いにくかったのだ。
本好きは、みな書店が好きだった。だから書店閉店は寂しくは思う。思うのだけれど、残念ながら、リアル書店の方が、どんどん遠くに行ってしまった。
久しぶりに書店に行った。というくらい、ネットで本を買うことが当たり前になっていたのだが、やはり大型書店に行きたくなったのだ。
きっかけは長野の小布施に行ったこと。葛飾北斎がこの町を訪れたのが80歳を超えてからという話を知って、半信半疑のまま北斎について調べたくなったからだ。
本と言っても、図版を伴うものも多いだろうから、ということで新宿の書店へ行った。
で、結論から言うと何も買わなかった。
美術書のコーナーへ行ったのだが、事前にamazonで調べたよりも点数がないし、本当に探しにくい。理由は簡単で、出版社の全集やシリーズごとに並べられているから「北斎」と言っても、あちこちに飛ぶ。まして新書や文庫となるとフロアすら違う。
で、やっと書店に来なかった理由を思い出した。そう、この苛立ちがストレスになるのだ。
書店の棚割りは、「内容別」ではなく、「形態別」なので、こうなると、もうどうしようもない。
結局、図書館で調べてamazonで購入するということになった。
改めて思ったのだが、リアル書店というのはどんな意味があるのだろう。
この書店も、売りたい本は、いわゆる「多面展開」をしていて、これでもかとばかり場所を占めている。こうして、リアル書店では、売れそうな本ばかりが目立つのでライトユーザはそれでいいかもしれない。ただし、そうすればするほど、総点数は減るわけで、本好きには物足りない。結局ネットで買うと思う。