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ac広告代理店の営業について、いろんな会社の人、つまり広告主サイドから話を聞くのだけれど、ここ10年くらいは同じような傾向だ。

一言でいうと、「困った時に相談できない」という。その理由は単純で、広告テクノロジー関連の知識が浅いからだ。マス広告以外のことだと、メディアでもクリエイティブでも「スタッフを連れてきます」になる。(ちなみに今日の話で念頭においてるのはいわゆる「総合広告代理店」のことだけど、ネット系においても実情は色々のようだ。)

ただ、連れて来るだけなら誰でもできる。

かつての営業はスタッフを仕切りつつも、一定の専門知識を持っていた。だからこそ、どのスタッフが優秀かがわかる。つまり、優れた目利きだった。そして、ビジネスにおいては、「多頭立ての馬車」を操る馭者のような存在だった。

だから、当人に専門スキルがなくても存在価値があったのだ。

ところが、広告ビジネスはインターネットによって「一から勉強」の必要が出てきたが、それが面倒な営業はとりあえずスタッフを「連れてくる」。ところが、目利きの仕事になっていない。

そこで、広告主は「営業のグリップ力が落ちた」という。馬車の馬が勝手に走っているような状態になってきた。

こうなると、営業の存在価値は低くなるし、場合によってはビジネスを混乱させる。 >> 広告代理店の「営業」の、存在価値って何だ?の続きを読む



(2016年9月26日)

カテゴリ:広告など
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「広告代理店」という言葉を嫌う人がいる。「広告会社」というべきだ、というのだが今一つ理由が分からない。ネガティブなイメージがあるから、というらしいが僕はピンとこない。

いまは現役を引退しているような年代の人がそう言い出したようで、知らないうちに「広告会社」という表現が増えた。

しかし、そうした言い換えは、本質を見失う。自分の仕事に誇りを持っていれば「広告代理店」でいいのはないか。もちろん、事業主体となるビジネスが増えたということもあるだろうが、そうなったら、そもそも「広告会社」ではないだろう。

僕は文章中では、文脈に応じて「広告会社」とも「広告代理店」とも書く。ただ、自己紹介で経歴をいう時は「広告代理店」という。なんか結構響きが好きなのだ。

だって、「人ができないこと」をするってことでしょ。それはまさにプロフェッショナルでなくては務まらない。それに扱いが1兆円を超えても「店」というのも何だかいいじゃないか。

代理店という言葉は、agencyの訳語だろうが、他には旅行代理店ぐらいか。そして、世界で最も凄みのあるエージェンシーは、おそらくCIAだろう。 >> 広告「代理店」であること。の続きを読む



広告業界の方ならばよくご覧になっている「業界人間ベム」が、、広告会社の行く末を案じている。ここで、取り上げている問題を一言でいえば「営業がトーシロ(素人)になってしまった」ということだ。
ただし、これは広告業界だけの問題でもない。僕が観察している範囲でいうと、サービス業を中心にして広く見られる状態だ。
簡単に言うと、「営業とは何?」ということが定義できてない。業務もスキルも、きちんと記述できない状態で、ただ毎日の仕事に忙殺されているのだ。
「営業」という仕事には、2つの側面があると思う。1つは「販売」つまりセールスだ。いわゆるセールスマンの仕事で、クルマや保険などが典型だろうか。この場合、実績は売上だけで評価される。年間100台のクルマを売る営業は、50台売る人よりも2倍の価値があるということだ。(報酬が倍にはならないが)。
そして、もう1つの側面が「顧客管理」で、アカウント・マネジメントということになる。広告会社の営業が「アカウント・エグゼクティブ」を名乗ったのは、単なるセールスではないという意味だろう。
顧客のニーズをつかみ、複数のサービスを最適にパッケージすることがその使命である。ただし、広告業界の主力商品は長らく変化がなかった。マスメディア市場の成長は、経済成長と連動し、その低迷もまた同様だ。しかし、メディアの選択肢は爆発的に増加した。その結果「最適パッケージ」を考案するスキルが追い付かない。とりあえず旬の素材を寄せ集めた、できの悪い幕の内弁当があふれることになる。このあたり、百貨店の衰退とも似ているよう思える。
さて、新しいスキルを獲得できない営業はどうなるか?

>> ベムさんへの返信~そもそも営業って何?の続きを読む



就職戦線は厳しいと言うものの、学生によっては結構重複内定が多い。 知らない学生が、そんなことで相談のメールをよこして来ることもある。とある学生はXYZの三社から内定をとった。XとYは総合広告の上位で、Zは業態はやや異なるもののこちらも情報産業の雄である。 で、どこがいいだろうか?ということで大体学生の腹積もりは決まっているようだけど、会うことにした。 そこで聞いて驚いたんだけど、なんと内定後に採用担当者からこう言われたらしい。 「今年の広告業界志望の学生のレベルは低い」 わざわざ、どうしてそういうことを言うのか。Y社とZ社の担当はそう言ったと聞いて、思わず「その2社はやめたほうがいいだろ」と言いそうになったが、それが理由かはともかく、本人はX社に行くつもりのようだった。 しかし、これって、何なんだろうか。まず、採用担当として、というか社会人としてかなり傲慢なんじゃないか。これじゃ内定者だって、首を傾げるだろう。 それに、人気が低下したというなら、それは企業側の責任。ここで、内定者に八つ当たりしてどうするのか。 それより問題だと思うのは「学生のレベルが低い」と嘆く、人事担当者の気概のなさ。これには、驚く。 学生の質は、たしかに毎年微妙に変わる。しかし「今年のカツオの水揚げ」というような感覚なら、人事なんかやらない方がいい。魚は釣り上げた時点で価値が決まるが、人材は採用後にいくらでも変化する。 まっとうな会社なら、入社時の評価と20年後のそれを必ずしもきちんとトレースしているはずだ。そうすれば、入社時評価があてにならないことも理解しているだろう。 ちなみに、僕が見る限りこうした低下は特に感じない。まさか、と思うような逆転内定はどの業界でもなく、きちんとした企業にはそれなりの人材が集まっている。 そもそも内定者に、こうした話を軽々にするというのは他の業界では聞いたこともない。その上興味深いことに、こうした緩みは会社のパフォーマンスの反映のようで、人事の態度はXYZ三社の業績動向と奇妙な一致を見せるのだった。 ああ、怖い。



(2010年5月7日)

カテゴリ:広告など
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昨日のエントリーとも関係するのだけれど。
会社を辞めた直後だから、いまから5年ほど前のことである。
リクルート出身で、とある企業のトップを務めている人がこんなことを言っていた。
「電通や博報堂の”営業”は”営業”とは言えないよ」
なぜか、という理由はすぐ後に語られる。
「だって、新人とか配属で『どのクライアントになるか』って、すごい気にしてるじゃない。つまり、その時点で受け身でしょ」
なるほど。
「営業の役割って、新しいクライアントを開拓して、既存のクライアントから新しいビジネスを生み出すことじゃない。無から有を生み出すんだから、そもそも担当なんか”無し”だっていいんだよ」
だから、大手広告会社の営業は彼から見れば”営業”ではないということになる。
これは、少し乱暴に聞こえるかもしれないけれど自分としては納得した面もある。というのも、広告会社の「営業の価値と役割」については結構アタマを悩ましたまま、結論を出せなかったからだ。
>> 応仁の乱と広告営業。の続きを読む