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バイエルン国立管弦楽団 特別演奏会 

指揮:キリル・ペトレンコ ピアノ:イゴール・レヴィット

2017年9月17日 東京文化会館 大ホール

ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 op.43/ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」より「愛の死」(アンコール)/マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調

 

演奏も鮮烈だったけれど、それ以上に印象的だったのがオーケストラの表情。

それって、「音楽の表情づけ」の話ではなくて、出演者の「顔」そのものがとても幸せそうだったということだ。

1階の8列目ということもあったけれど、フィナーレの最後に近づいたころ、トランペット奏者の顔が微笑んでいることにきづいた。ふと見ると、表情がほころんでいる奏者があちこちにいる。

管楽器奏者は笑いながら吹けないが、休んでいる時になぜか嬉しそうだ。終演後に指揮者が去り、コンサートマスターが帰るしぐさを見せると、弦楽器奏者はプルトの隣り同士でハグ。舞台も客席も、みんなが「幸せになるコンサート」だった。

そして、その幸せの源はペトレンコだったと思う。

指揮は時には相当大胆で、左手を「野球の3塁コーチ」のようにグルグル回したり、金管に向かって「両手で黒板拭き」のように振ることもある。

ベルリンフィルのデジタルコンサートホールで見ると、顔芸も相当だ。感情のうねりを最大に表現しながら、アンサンブルを破綻させることなくグイグイと進める。

ラトルのような主体性を引き出すおおらかさや、アバドのように憑依された凄さとも違う。いつも、自分が「音楽の真ん中にいる」という意味では、雰囲気や音作りは全く異なるけれど、ある意味カラヤンに近いのかもしれない。

ベルリンフィルの次期指揮者ということもあって、ついついそんな比較をしてしまうが、それはあまり意味がないだろう。

ペトレンコは、空間を共有する人を幸せにする「何か」を持っている。また1楽章の最後の方で、ホルンのゲシュトップをキッチリ鳴らすなど、スコアの読み込みもしっかりしている。「なにかしてくれる」期待感があるから、また聴きたくなる指揮者だ。

ただ、終わった時の興奮が揮発していくスピードが意外と速いようにも感じる。上野の山を降りる頃には、「どこがどうだったか」がスーッと消えていく。個人的にはヤンソンスやバレンボイムが「揮発が遅い」指揮者なんだけど、それは良しあしというよりもまさに個性なのだろう。

なお、ラフマニノフのあとにレヴィットが弾いた「トリスタンとイゾルデ」が、魂を抜かれるような演奏だった。このアンコールに唖然茫然とした人も、また多かったんじゃないだろうか。