そう、これは深いのだ。果たして猫は後悔するのか。
哲学者の野矢茂樹氏の著作『語りえぬものを語る』(講談社)の第1章の表題には「猫は後悔するか」とと記されている。
結論は、まず5行目にあっさりと書かれる。
「私の考えでは、しない。いや、できない」ということだ。異論のある方もいるかもしれないが、まずは氏の考えを追っていく。
そもそも、後悔するには、事実に反することを想像する必要がある。では、なぜそれができるのか。そのためには、「世界が分節化」されていなくてはいけない。
「犬が走っている」という事実がある。その時僕たちは、「犬」という対象と、「走っている」という動作という要素から構成されていると捉える。これが分節化だ。
分節化された世界にいるからこそ、「犬が逆立ちする」という事実に反することを想像できる。そのためには、分節化された言語が必要だが、猫はそれを持ってない。
犬が走っていれば、「走っている犬」という現実に対処するだけである。猫だけではなく、犬だってそうだろう。
という説明である。たしかに、そうだ。 >> 「猫は後悔するか」問題について。の続きを読む
「事実上のミサイル」が発射された。
ではミサイルとロケットの違いって何なんだ?という話を今回はネット上でも結構見た。諸外国がどう言ってるのかを含めて、こちらの記事に書いてあるが、そもそも国連がミサイルと言い切っているようだ。
英語圏のメディアを少し調べたが、ニューヨークタイムズは「大陸間弾道弾開発プログラムの一部と西側専門家が信じているロケット」という言い回しで、CNNは’missile’と引用符付きで報じている。この辺りが「事実上」のニュアンスに近いのかもしれない。
しかし、考えてみると「事実上」という日本語も妙だ。調べてみると「法律上」の対義語ともあるが、この場合は違う。
どちらかというと「ご承知の通り」という感じだろうか。
ただ、事実というのは「表」の話だ。だからこそ、真実や真相というのが「裏」となっている。しかし、今回は表がロケットで、裏がミサイルという感じだ。
つまり、どこかで裏と表が逆転したというか、最初から裏も表も透けてしまっているわけなんだろう。
考えてみると、今年に入ってからのニュースってこんな感じだ。
「人気タレントの不倫発覚スクープ、事実上の近親者による暴露がおこなわれました」
だとすれば、もちろんあれだって。
「人気男性アイドルグループの謝罪会見、事実上の脱退阻止の経緯説明がおこなわれました」 >> 「事実上」って、何なんだろう?の続きを読む
怒涛のような1月だった。相当ニュースが詰め込まれていて、その上、世界と日本のギャップがすごい。
年明け3日に飛び込んで来たのは、サウジアラビアとイランの断交。なんで?と思う間もなく4日は中国株式市場でサーキットブレーカーが発動。6日には北朝鮮の核実験。「自称水爆」といわれているが真相はわからないまま、28日の破壊措置命令となる。そして7日は再度サーキットブレーカーが発動して、中国はこの制度自体を止めてしまった。
これで、まだ2016年は1週間。
その後も株式市場は世界的に乱高下が続いて、29日の日銀会合で「マイナス金利」が導入された。
さらに16日は台湾の総統選挙で民進党の蔡英文が当選し、イスタンブールやジャカルタでも爆破テロがあって国際政治・経済だけでも相当お腹いっぱいだったのに、メディア上の話題では国内のスキャンダルがそれ以上にすごかった。
というか、今さら陳腐だけれど「平和な日本」を実感したとでも言うのかな。
7日の週刊文春でベッキーの不倫、翌週13日のスポーツ紙でSMAPの解散報道で、18日に「会見」中継。文春発のスキャンダルはなおも続いて、甘利大臣は28日に辞職。ただ内閣支持率はむしろ回復傾向で、民主党は「自虐ポスター」で話題に。
事件としては、15日には碓井バイパスでバスの事故があったが、いまだ原因は不明のままだ。また、24日は沖縄の宜野湾市長選挙で、国政与党系の候補が当選。選挙のニュースは、しばらくすると地元以外では報じられなくなるが、影響はじわじわ来るだろう。
スポーツでは大相撲で琴奨菊が優勝したことと、サッカーU23代表のアジア大会優勝だろうか。どちらも「日本」を意識させる報道だった。
ビジネス関連では、トヨタがダイハツを子会社化する一方で、スズキとも提携。また新日鉄住金が日新製鋼を買収子会社化するなど、ますます集中が進む感じだ。 >> 1月のニュース振り返りと気になることなど。の続きを読む
平日の午後、天気もよく時間もあったので上野の動物園に行った。芸大の卒展を見て、谷中の方へと歩いていく。外国人も含めて人が多く、かつてはガラガラだった古い喫茶店にも外で客待ちの列がある。
一休みして本でも読もうと思ったのだが、どうもしっくり来る店がない。古民家を改造していて、オーガニックや何やら書いてあったり、畳の席だったりする。マーケティングしいてるのはわかるのだが、そういう店じゃなくていいのだ。
とりあえず入った店は、近所の人のたまり場になっていた。芸大の学生を囲んで、いろんな人が話しているのだが、居酒屋のように喧しくてロクに本も読めない。喉も乾いたので生ビールを頼んだのが、サーバーをまともに洗っていなのか酷い味がした。
早々に退散して千駄木の方に歩いて行ったのだが、とにかく居心地がわるい。なんでだろうと思ったら、すぐに理由がわかった。前にも書いた「ていねいな暮らし」とか好きそうな人が好む、あの独特な雰囲気があるのだ。
コーヒーと和風の甘味を出す店が目立ち、「昔ながらのナポリタン」とかあり、手染めの製品を売っていて、敢えて言えば「ていねいな暮らしのテーマパーク」なのだろう。
ふと連想したのは、70年代後半の清里だ。なぜかいきなり「カワイイ」文化が流入して「高原の原宿」と言われた。今は落ち着いたようだが、いったいあのブームは何だったのだろう。とりあえずキノコの入ったパスタは「森の小人たちのスパゲティ」になり、シーフードグラタンは「海の妖精のグラタン」になってしまった。
いまの谷根千は、あの空気に近い。こういう作られた町からは、早々に退散したい。僕にとっては、歩いているだけでむず痒くなる道だ。 >> 意識の高い作られた下町、谷根千。の続きを読む
「させていただきます」という言葉は、結構前からあるようだけど少し前の「国語に関する世論調査」でも取り上げられて、NHKの番組でも敬語講師という方が解説してる。
まあいろいろ見ても肯定的な論調は少ないんだけど、ここ5年くらいで「変じゃないの?という話が増えている。
僕も、基本的には推奨しない。「プレゼンテーションを始めます」で何の問題もないと思うのだ。
ところが、この言葉については遥か昔にとある方がバッサリと斬っている。詩人の大岡信が新潮社の「最新日本語読本」というムックのインタビューでこんな風に話しているのだ。
『慇懃無礼。相手との接触に間を置こう、トラブルを避けようというおよび腰の姿勢が感じられます。』また「したいと思います」についても、次のように言う。
『さらに「思います」を加えるのは、決断を避けているわけで、他人に立ち入られたくない、ナメられたくない、責任をとりたくない心理がそこに働いている』
つまり「させていただきたいと思います」は最悪ということになる。
このインタビューは1992年、つまりほぼ四半世紀前のものだ。言葉に敏感な人は、その頃から気にしていたのだなと思う。
つまり「最近の風潮」というよりも、根の深い話なのだ。
と思っていたら、最近驚いたことがあった。実はこの表現に司馬遼太郎が言及していたのだ。『街道を歩く・24』の「近江の人」という節に、この表現についての言及がある。 >> 「させていただきます」問題とNHK。の続きを読む