一人で仕事をしている人は、意地がある。それは、会社組織への対抗心のようなものかもしれない。それは、フリーの人でなくても想像できるのではないだろうか。
そして、もう一つが「屈折」だ。これは、ちょっと説明を要するかもしれない。
フリーランス、特に企業を辞めた者は、一方で企業のことを気にしている。当然、古巣のことが気にかかることもある。
そして、その企業の業績が良くても悪くても、何だか気になったりしているのだ。多くのフリーランスはそんなことを敢えて口にはしない。それはそうだろう、あまりにカッコ悪いからだ。
もし自分が独立した後に思うように仕事がなく、一方で古巣の会社が好業績だったりする。その場合、果たして自分は冷静でいられたかというと、そんなことはなかっただろう。そして、自分の仕事がうまくいっていて、かつていた会社が不調だったりすると、それはそれで気になったりする。
何か、大変にややこしいのだけれど、これは実際に会社を辞めた人同士で話していると感じることでもある。
時には、この屈折をものすごいエネルギーに変えてしまう人がいる。勤めていた会社の内幕を暴露するような本を書いちゃったり、いつまでも辞めた会社や業界の悪口を言い続ける人だ。
一方で、自分の中の屈折をちゃんと向き合えない人がいる。そういう人は、とりあえず会社組織というものを否定してみたがる。みたがるんだけど、何となく根拠がないので空回りをするのである。
別にフリーにならなくても、転職をした人と話すと、時折似たような感覚を持っていることに気づく。そして、あっけらかんとしているよりも、適度に屈折している人が、何となくカッコいい気もするのである。
まあ、それは自分の思い込みかもしれない。
そして、そうした屈折とは無縁に見える会社員を見て、ときおり「それもいいよな」と思ったりしながら、「いや自分は正しかった」と自答を続けるのが、まあフリーの正しい屈折だったりするのである。
僕が会社を辞める前に考えたのは、「最低でも幾ら収入が必要か」ということだった。そこで、自分にとっての「ミニマム・ライフ」を設定することにした。そうなると、必然的に基本方針が決まり、まず心がけたのは「コストの最小化」だった。
幸いネットの時代だったので、オフィスを借りたり秘書を雇わなくても「店構え」を作ることはできる。だからホームページはそれなりに手をかけた。
一方で自宅は広くなかったので、客が来ることは想定できなかった。
今でもあるのだが、入社3年目の頃に買った小さな引き出し型のラックを使い、書き物ができるスペースだけこじ開けた。そして、打ち合わせはすべて外にすることにして、小さなPCとリュックを買い求めた。
ミーティングは同じ日に集中させて、空いた時間はカフェで原稿などを書く。クライアントの近くにある店には詳しくなって、どこにウォシュレットがあるかも把握した。
その後、越したので仕事スペースは改善されたが、今でもその基本スタイルは変わりない。
リュックもPCも同じものだ。デジカメやポインタをしまう場所も決まっている。
それは、「ノマド」的なのかもしれない。だが、その当時にそんな言葉はなかった。そして最近の議論を聞いていると、何か違う気がする。それは仕事のスタイルではなく、心持ちの問題なのだと思う。
ブログを書いていると、意外なエントリーの反響が多かったりする。最近だと「フリーランスの勘違い」とか「世界を変えたい若者って」みたいな、「働き方」についてのものが多い。
で、僕は2004年の9月に独立して以来、法人組織にしていない。そして7年くらいが過ぎた。そこで感じたことを書いてみようかと思うのである。
一応短期連載予定で、今日が第1回目である。タイトルは「フリーの花道」。「フリーの心得」とか考えたけど説教臭いので、特に意味なしタイトル。
で、そもそもフリーっていうのは「旬な働き方」なのだろうか。
会社に捉われない生き方、というのはよく耳にもするが、そもそも日本では自営業者は減少を続けている。1990年に878万人だったのが、2010年には579万人だ。一方で雇用者は4835万人から5463万人に増加した。非正規雇用が増加したこともたしかだが、常雇も増えている。
着実に会社員は増えているのだ。
僕は2004年の9月に独立して以来、法人組織にしていない。そして7年くらいが過ぎた。そこで感じたことを書いてみようかと思うのである。
で、今日のテーマは「自由と自決」である。
「自決」と言っても、いきなり切腹したりする話ではもちろんない。「自分で決める」という意味で、そういえば世界史に唐突に出てくる「民族自決」の「自決」だ。
フリーランスの適性があるかどうかは、この「自決力」があるかどうかだと思う。自由業は自決業と言ってもいい。もちろん、「自決力があること=優れた人」ではない。これはあくまでも適性の話である。これを勘違いしている人が多いことは、以前にも書いた。
この「自決力」について考えたのには、ハッキリとした記憶がある。
今日フェイスブックを眺めていると、何だか「話が合わない」感覚になっていた。そうか、バレンタインデーなのである。バレンタインデーはもちろん、「男女の愛を確かめあう」ということで結構なのだが(←ひどくオジサンくさい言い回しだ)、義理チョコのようなお祭りがあって、それはオフィスに行かないとわからないわけだ。
今日は妻も家にいて、さっき昼飯を一緒に食べたのだが、チョコはどうなんだろう。最近はあったりなかったりかもしれない。夜は落語の公開収録に行く。まったくバレンタインじゃないけど、まあそれはいい。
で、こういう日にネットを眺めていると、やっぱり会社勤めのことを思い出す。で、なんで自分はフリーを選んだろうなとか改めて考えたりもするのだ。
一番最初に「会社辞めようかな」と思ったのは入社式の時だった。それは、大変によく覚えている。式の後の人事の説明で「定年まで38年ある」と言われたのだ。
そんなこと、考えていなかった。そして、「こりゃ、長いな」と思ったのだ。
就活が始まる頃になると学生から決まって聞かれることがある。
「どうして、広告業界を志望したんですか?」
「自己PRとか志望理由はどんなふうに書いたんですか?」
聞きたくなる気持ちはよく分かるのだけれど、うまく答えてこなかった。半分はホントに忘れているのだが、もう半分は何となく照れくさいのでちゃんと思い出そうとしなかったのだ。だって、何か恥ずかしいじゃない。もはや四半世紀前のことなのに。
ただ、あまりにも聞かれたり、今年は学生相手に少人数クラスを持っていろいろ相談も受けたので真剣に真剣に考えたら、最終面接のことを思い起こした。
就活時に僕の話の構成は二本柱があった。一つは高校から続けていたオーケストラの話で、これは「チームプレイ」への話へつなげる。もう一つは大学の研究室の話で、選挙分析で統計などもいじっていたのでこれを「マーケティング」につなげる。あとは、自分の「人となり」として、まあ読書好きだったりしたことを話してきた。
ところが最終面接で、このパターンで行き詰ってしまった。
明らかに面接の雰囲気が滞って、前にいる面接官(おそらく役員クラス)がつまらなそうにし始めたのである。
(しまった……)
と思った時に、一人が尋ねてきた。