この秋、ちょっと新しいことを始めますので、お知らせです。
それは、就活を控えた大学生を対象にしたネット連載。タイトルは「就活セットアップ」です。
僕は企業対象のコンサルティングや人材育成が仕事の中心です。その傍ら、大学でマーケティングを教えてきました。かつてはキャリア・ディベロップメントも教えたことがあります。
また、さまざまな学生の就職相談を受けてきました。ただし、就職支援をビジネスとして行ったことはありません
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そういう立場で学生と接してきていると、気になることがあります。いわゆる就活の技術についての情報は多いのですが、そもそもの学生の不安は宙ぶらりんになっているんです。
働くということ。会社に勤めるということ。自分のスキルを磨くということ。どれも大切な話なんだけれど、話をする大人が少ない。
結局、そうした不安や疑問を抱えたまま就活に突入します。いろんなことがモヤモヤしているから、いざという時に力が発揮できない学生が多いことも事実です。
それは学生にとっても、企業にとってももったいないことだなと、思いました。
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そこで、就職活動が始まる前に知っておいてほしいことを、ネット上の連載としてスタートすることにしました。特にメディアへの寄稿ではなく、自分のホームページの別館ですし、アーカイブも見られます。
10月22日から11月30日まで毎日記事を増やしていきます。1週間に1章というイメージです。もちろん、購読のための手続きは何もありません。誰でも、読めます。
広告業界の方ならばよくご覧になっている「業界人間ベム」が、、広告会社の行く末を案じている。ここで、取り上げている問題を一言でいえば「営業がトーシロ(素人)になってしまった」ということだ。
ただし、これは広告業界だけの問題でもない。僕が観察している範囲でいうと、サービス業を中心にして広く見られる状態だ。
簡単に言うと、「営業とは何?」ということが定義できてない。業務もスキルも、きちんと記述できない状態で、ただ毎日の仕事に忙殺されているのだ。
「営業」という仕事には、2つの側面があると思う。1つは「販売」つまりセールスだ。いわゆるセールスマンの仕事で、クルマや保険などが典型だろうか。この場合、実績は売上だけで評価される。年間100台のクルマを売る営業は、50台売る人よりも2倍の価値があるということだ。(報酬が倍にはならないが)。
そして、もう1つの側面が「顧客管理」で、アカウント・マネジメントということになる。広告会社の営業が「アカウント・エグゼクティブ」を名乗ったのは、単なるセールスではないという意味だろう。
顧客のニーズをつかみ、複数のサービスを最適にパッケージすることがその使命である。ただし、広告業界の主力商品は長らく変化がなかった。マスメディア市場の成長は、経済成長と連動し、その低迷もまた同様だ。しかし、メディアの選択肢は爆発的に増加した。その結果「最適パッケージ」を考案するスキルが追い付かない。とりあえず旬の素材を寄せ集めた、できの悪い幕の内弁当があふれることになる。このあたり、百貨店の衰退とも似ているよう思える。
さて、新しいスキルを獲得できない営業はどうなるか?
世の中には稚拙な議論が溢れていて、ネット上ではそれがテキスト化されるのだが、僕はいちいち突っ込まない。ただし、あまりにも議論の前提がひどい場合には、やはり書かないわけにはいかない。特に、キャリアについての議論となればなおさらだ。
錦織圭や石川遼はマックでバイトしない–「大学に行かない若者」と接してというエントリーをたまたま目にして思ったことを手短に書いておきたい。
誰だって自分にとって理想の仕事や生き方がある。ただし、他の人の生き方には敬意を払ってほしいと思う。卑下してほしくない。
それだけのことだ。
この文章を読むと、どうやらマックジョブは「解放されるべきもの」らしいけど、それはマックジョブを「不本意なもの」として行っている人の価値観だということだ。
だから、人それぞれだから別にいいという考えもあるだろう。
ただし、世の中には自分の能力を最大限に発揮することで、そうした作業をおこない対価を得て生活している人もいる。そうした人にとって、マックジョブの仕事は目いっぱいのものであり、決して努力していないわけではない。
>> マックの店員はマスターズにもウィンブルドンにも出ない。の続きを読む
先日、居酒屋チェーンの社員が過労死した裁判の後で「日本のブラック企業の進化」が話題になった。話題になったこちらのブログでは日本社会の同調圧力に注目していたけれど、僕はちょっと別の面からこのことが気になっている。
それは、日本人とりわけ若い人の「感謝欲」が過剰になっているのでは?ということだ。
人間の動機にはいろいろな分類があるんだけど、僕は就転職の相談などを受ける時に、特に2つの「欲」を気にする。それは「賞賛欲」と「感謝欲」だ。
前者はわかりやすいだろう。人から「すごい!」と言われたい欲求だ。これは「目立ちたがり屋」であり、人から喝采を浴びることを望む。
一方で「感謝欲」というのは、人から「ありがとう」と言われたいという欲求だ。つまり人のために尽くす人が多く、まあ一般的は「いい人」である。ただ、キャリア研究ではこれを「感謝欲」と捉える。意地悪なようだが、結局人に尽くすというのも自己の欲求を満たしている、と考えるのである。
さて、この「感謝欲」が強い人は、使う方から見れば便利だ。起業したオーナー社長などは「賞賛欲」に「影響欲」が加わったタイプが殆どだと思うが、これがとりわけサービス産業だとどうなるか。
そう「感謝欲」の強い社員は重宝なのである。
そして感謝欲の強い人は、「ありがとう」といわれると、モチベーションが上がる。そして、さらに頑張る。接客業もそうだが、福祉や介護、あるいは保育などの現場でもよく見られる。「お客からの笑顔で疲れが吹っ飛ぶ」という人もいる。
しかし、それが危険なのだ。
>> 「感謝欲過剰」になった日本。の続きを読む
昨年、父の余命が半年とわかってから、いろいろと大変なことはあったが、一番予想外だったのは、人に話す機会が想像以上に少なかったことである。
そして、それは自分の働き方とも関係していたのだった。
大体、夜に人と食事するのは週2回程度にしている。健康管理上の問題もあるが、そのくらいが、自分にとっては「ちょうどいい」のだ。会う相手はさまざまだが、大体二週間くらい前にはアポを取ると思う。
つまり、あらかじめ「何時会いましょう」と決めるわけだ。
ところが、このアポイントを決める気が失せてしまった。会いたい人はいるのだが、会えばそういう話をしたくなるだろう。ところが、わざわざ約束をとって重い話をするのは気が引ける。
結局、同年代以上の友人で、既に同様の経験をした人と話すことが多かった。
そして、会社員時代のことを思い出すと、みな昼飯の時なんかに何気なくそんな話をしていた気がする。
「いや、実はオヤジがですね…」
と、病気に関する打ち明け話を誰かがする。そうすると、先輩が声をかける。
「そっか…うちの時はな」と話を聞かせてくれて、「まあいざという時は、まかせておけ」とか「おふくろさんの近くにいてやれよ」という会話になっていく。
そんな風景を若い頃に見ていて、「いつかこういう日が来るのかな」と思っていた。そして、実際にその日が来た時に、僕は会社にいなかった。