会社を辞めて十年経ったが、相変わらずよく聞かれるのは「辞めた理由」だ。最近相次いで、辞めて独立した後輩と会ったこともあり、また同じような話をした。
この、「辞めた理由」」だけど、まあ、複数あってすべてを話しているわけではない。幾つかの“段階”に分けている。
辞めた当初は、当たり障りのない理由を話していたが、最近ではもう少し深いことも話す。つまり、会社を辞めた理由は「タマネギ」のようなものだ。話をしていると、「実はさらにこんなこともあって…」といろいろ出てくる。
一つのきっかけで、ドーン!と勢いづいて辞める人は少数派だろう。心の中に「退社インジケータ」みたいなものがあって、ゼロから100までの間で常に動いている。それが、ジワジワと100に達して決断するような感じだと思う。
まあ、時間も経ったので改めて整理しようかな、と。 >> 会社を辞める理由はタマネギのようなもの。の続きを読む
会社を辞めて1人で仕事をするようになったのは、2004年の9月1日だった。
つまり、今日で丸10年になる。10年に何の意味があるのか、まあ十進法でキリがいいと言えばそれまでだが、人の意識が十進法に縛られているところもあり、来し方行く末を考えるにはいいのかもしれない。
10年前、家の猫はまだ1歳になったばかりだった。そして、こうやって見ると少々太って熟女の趣が滲むが、むしろ変わってないことに驚く。
年年歳歳猫相似 歳歳年年人不同。
いや、そんなことはない。猫も人も10年歳をとった。それを勘定するかどうかが、違うだけなのだろう。
そういえば退社の日は、妻とホテルに泊まり銀座で食事をした。翌朝は好天で、日比谷公園を歩いた時の気持ちよさはよく覚えている。まだ、仕事もロクに決まってなかったが、あの浮遊感は忘れられない。
会社を辞めて後悔したことはないけれど、1つ残念なのは、もう「会社を辞める」というあの気持ちよさを味わえないことだ。
そして、ふと気づくと自分の前には相当の自由が広がっていることに気づいた。仕事を何歳までするか、どう生きるか。これだけの時間をどうしようか?とワクワクした感じをよく覚えている。
ところが10年経つと、全く異なる。50歳になると「もう全然時間がない」という感覚が先に立つのだ。
これには、正直驚いた。 >> 会社を辞めて、一人で始めて、10年経って。の続きを読む
とある広告会社のクリエイターが、新人を預かるという話になって、一体何から教えようかというので、まあいろいろ話して「コピーから入ったら」ということで一致した。
まずは、キャッチコピーをたくさん書いてみる、というわけだ。
コピーライターの仕事って、大変に学びが多い。コピーを書くというのは、コピーライター以外の人でも、トレーニングとして有効だと思う。
コピーライターの仕事は、結構誤解されている面もあるかもしれないけれど、最大のメリットは「戦略と戦術を、両方考えられる」ことだと思う。
というか、最近つくづくそう思うようになった。
コピーで、まず考えることは「切り口」だ。つまり、「戦略=どこで戦うか」ということ。
この場合、商品に決定的なUSPがあれば、それを伝えるだけで足りる。「スプーン一杯で驚きの白さ」とか、携帯電話の「0円」とか。こうした切り口は、企業の戦略に寄り添っていく。スマホもいろいろ出てきたから「大画面でいくか」となれば、コピーも基本的には「画面の大きさ」が基本線だろう。
ところが、製品の差別化が困難になってくると、同じフィールドの中で「戦術=どう戦うか」ということになっていく。そうなると、コピーとしては“表現”が求められる。語尾や、言いまわし、あるいは会話にする…などいろいろ工夫する中で、買い手が「自分に近い」と感じるような言葉を考えていくわけだ。
こう書けば何となくお分かりかと思うが、戦略レベルで決定的に差別化できれば、コピーの役割は背景へと去っていく。相当シンプルになるはずだ。
ブログとかを生業にしている人は、ある程度極端な話をした方がいろいろと自身には都合いいんだろうな、と思うんだけれど、話をすり替えて煽っているようなのを読むと茶々を入れたくなる。
で、Chikirinという人が書いた「バランスなんて、とる必要ないです」という話。なんだか、食べ物の好き嫌いと働き方の話とかがゴッチャになっていて、まあ軽く書かれていることにいちいち言うのもどうかと思うけど、ホント若い人がこういうの鵜呑みにするから、書いておこうかなと思う。
書いてあるフレーズは、確かに魅力的だ。たとえば
(引用)そもそも何にせよ、「常にすべてをバランスよく手がけてます!」って人で、おもしろい人に会ったことがない。「この人すげえ! めっちゃおもしろい!!」って思う人は、たいてい大きくバランスが崩れてる。(引用ここまで)
ところが、「バランスが崩れてる」という人でも、その人の中では「バランスがとれている」のだ。ちょっとバランスが極端に見える人は、単に「世の多数派と異なる」だけで、自分なりの均衡がある。
そうでなければ、ただの「破綻した人」だ。
アーチストでも、「この人すげえ!」ような人はどこか極端だ。しかし、自分なりのバランスがあるから成立している。
ただ、闇雲にそういう人を目指すと、大抵は破綻する。それは、仕事でも何でもそう。世の中には、「いろんなことをそこそこやる」ということで、それが性に合ってる人もいる。もっともこういうネットの読者は、それに飽き足らない人が多く、それを知ってるからこういう煽りをするんだろうけどね。
バランスって、それぞれの人の中に固有のモノがあるわけ。それを崩して、極端なことしても気持ち悪くなっちゃうだけだと思うよ。
でも、そういうChikirinという人は、相当にバランス感覚のある人だと思う。
だって、世の中の多数派が「バランスが大事」ということを見越して、「バランスいりません」ということで、見事に自分の立ち位置を確保してるじゃない。
ま、そういうことです。わかりますよね。
いまさらこんなこというのも変だけど、マーケティングや広告、そしてメディアにかかわるビジネスって、「都市の仕事」だと思う。典型的な「都市型ソフトウェア」というんだろうか。
人と情報が集積しているから、新しい潮流が生まれる。
ただ、実際のお客さんは世界のあちらこちらに暮らしている。だから、マーケターが都市に暮らして働くのはいいけれど、その世界がすべてではない。
でも、最近マーケティングや広告、メディア界隈の人が見ている世界が、限定的になっているようにも思う。
何というか「中目黒のマーケター」という感じの人が多くなりすぎている気がするんだ。
もちろん、中目黒に住んでいるとかオフィスがあるとかいうわけではない。生活様式全体を象徴する街としてなんとなく「中目黒」な感じなのだ。
イメージだと、もちろんiphone持ってて、アップルファンで、酒はそこそこ、飲むならヒューガルテン、焼肉を好むが最近は熟成肉に流れ、クルマは持たずに自転車乗って、ひょっとしたら東京マラソン出るくらいアクティブで、買い物はネットで、春が来れば目黒川の桜をfacebookにアップしているような人たちだ。共働きも多い。京都も好き。
オフィスが都心から西南方面が多く、利便性で住居を選ぶので通勤時間は短い。
というようなイメージで、別に中目黒から恵比寿界隈が似合いそうな人なんだけど、一方でイオンには行かないし、というか近くにないし、地上波は見ない。
別に、それでもいいかもしれない。ただ、イオンやヨーカドーというのはメーカーでマーケティングしている人にとっては、とても重要な存在だし、地上波のCMもまた最大の広告媒体だ。