冨山和彦氏がNEWS PICKSで自伝のような連載を始めたのだが、予告編のタイトルがちょっと気になった。

「日本のサラリーマンなんかクソ食らえ」というのは、さすがに乱暴じゃないかなぁ。じゃあ丁寧に言えばいいのか。
「日本のサラリーマンなど、お通じを召し上がれ」

多分、それも違う。
それにしても、そもそもコンサルティングというのは、サラリーマンが働いた利益から報酬を得ているはずなのに。

と、野暮を承知で言ってみたけど、実際には数々の会社の現場に飛び込んで成果を上げてきた素晴らしい方だと思っているし、書かれていることにも納得する。つまり、この見出しが「今の時代の気分」という編集の判断なのだろう

会社員であることの意味、というのも結構揺れている。いま就職活動が始まっているが、多くの学生は「会社員になること」に必死だ。ところが、会社員になった人で、積極的に「いいよ~!」という声はあまり聞かない。

ネット上だと、フリーになったり起業した人の方が声がでかい。まあ、それは当たり前だと思うが、会社員向けの情報って結構限られているんじゃないかと思う。

ビジネススキルやハウツーの話はもちろんあるが、「出世術」のような本や、管理職向けのテキストもある。 >> 「会社員なんて…」の空気が気になる。の続きを読む



本日から、日経ビジネスオンラインで執筆を始めることになった。久々にキャリアの話だ。

キャリアに関する単行本は、20代向けのものが殆どだった。今度は、ちょっと違う。

「ここでひと息 ミドル世代の“キャリアのY字路“」

という連載タイトルだ。

ミドルがどこを指すかは曖昧で、編集の方ともなんとなくで進めていたのだが、1回目は「いよいよ50代 自分のキャリアをどう見切る」という見出しでスタートした。

これでわかったのだが、どうやらメインターゲットは40代半ば以降の方ということだ。なんか後付けで申し訳ないが、そんな感じで進めて行こうと思う。

僕は40歳で会社を辞めている。その後はフリーなので、ある意味もっとも「会社員らしいシーン」というのを知らないで50代になってしまった。「会社員らしいシーン」というのは、なんというか『島耕作』に出て来そうな、ちょっとドロドロしてウネウネして、それでいて「すべて呑み込んだ」ような世界である。

もう、現実を知らないので妄想が進んで申し訳ない。

ただし、一つだけ言えることがあって、人はいつまでも第一線でいられるわけではない。もちろん、執行役員や取締役になれば、責任も重くなるし、人生を捧げることにもなる。ただし、それでもいつかは引退がある。 >> 新連載「キャリアのY字路」@日経ビジネスオンラインです。の続きを読む



民進党、って一発変換されるのか。で、政調会長に山尾志桜里が決まったらしい。こちらの名前も、ちゃんと辞書に入ってた。まあ、それはともかくちょっと気になることがある。

彼女は検事出身で、つまり法曹資格を持っている。で、最近の政治家には結構多い。現党首や経験者だと、谷垣禎一、福島瑞穂、山口那津男、それに橋下徹がそうだ。幹部クラスだと、枝野幸雄、高村正彦、稲田朋美など。ちなみに、この間お騒がせの丸山和也も弁護士だし、引退した元官房長官の仙谷由人もそうだった。

こうしてみると、党派については右から左までいろいろだけど、なんというか似たような共通点があるように感じる。

アタマのキレや理解力は優れているのかもしれないし、そう感じることもあるのだけれど、政治家として何かが足りない気がする。うまく表現できないのだが、あと一歩の説得力とか、ダメ押しのようなものがどこか淡泊だ。

谷垣氏は総裁経験者だが総理にはなれず、橋下氏は住民投票で惜敗して政治家を辞めた。福島氏も闘志のようでいながら、党の退潮を何が何でも食い止めるという泥臭さは感じられない。

法律家は出来上がった法の下で、それを正しく取り扱うことが仕事である。一方で、政治家は法そのものをつくる過程に携わる。つまり、ある意味では「なんでもあり」という一面がある。

とはいえ、なんでもありだと滅茶苦茶になるので憲法という枠組みがある。ただし、つくられる法律が違憲か合憲かという議論が定まらなくても、国会で採決されれば法となるわけであって、その辺りは昨夏の安全保障法案の経緯が語るところだ。 >> 山尾志桜里も法曹出身の政治家なのだが。の続きを読む



ik1瞬間的に湯がグツグツと沸き立ったかと思ったら、何か妙なものが入っていたのかヤカンごと爆発してしまった。「育休議員」をめぐる騒動はまさにそんな感じだ、残ったのは「やっぱ、ああいうヤカンってどうよ」という印象。つまり、育休を求める男性にとってはロクなことにはなってない。

じゃあ、実際世論的にはどうなんだろうか。と思って調べたら賛否について結構前から調べているデータがあった。博報堂生活総研の「生活定点」だ。「男性でも、育児休暇を取るべきだと思う」という項目に対して、肯定的に応えた人の割合である。

隔年で偶数年にレポートが出るので、この最新データは2014年だ。

ザックリいうと、女性はどの年代も40%を超えていて、一番高いのは50代の47.1%という数字だ。

一方で、男性は全体に低く年齢が上がるにつれて、さらに低くなる。そして、20代30代でも40%をわずかに下回っている。

女性の50代が高いのは、本人たちが雇用機会均等法以前か、施行直後の世代であり「頑張りたくでも、頑張れなかった」ということもあるだろう。また、仮に娘がいればちょうど働き始めたり、結婚を検討している人もいるだろう。いずれにせよ、女性は世代を超えた「応援体制」ができている。

それに比べて、男性の50代以上はいわゆる「岩盤」状態だろう。男性の育児休暇の壁のありかは浮かび上がってくる。 >> 「男性育休賛成」がジワジワ低下している年代は?の続きを読む



71eHQ9iq5ZL僕は本については、子どもの頃からいろいろ読んでたと思う。ただし、古典などにもいろいろ穴があるし、いわゆる乱読の方だろう。

そして、ある頃まで多読がいいと思っていた。今でも自宅の仕事場にオーダーメイドの本棚がありつつ、トランクルームを借りている。ただし、ここ何年か考えが変わってきた。どうやら、本をたくさん読んだからといって、それ自体に本当に価値があるのだろうか。

きっかけは佐々木中の『切りとれ、あの祈る手を』という本を読んだことだった。2010年秋の本だが、修善寺へ旅しながら読んだ。

「本は少なく読め。多く読むものではない」これは、多くの文人が言ってきたという。ただし、それがスッとわかるにはタイミングがあるように思う。僕は「そうだよな」と思ったのは、ちょうど40代半ばで単なる多読への疑問があったのだろう。

まず「繰り返して読みたい本」ってそんなにはない。ところが、繰り返して読む本には、よむたびに発見がある。「一度だけ読む本」がどんどん家の中に増えて、そこからはみ出していく中で、果たして「蔵書」に何の意味があるのか。それって、背表紙をズラリと並べることへの満足だけなんじゃないか。

一方で、僕は「聖書」一冊も満足に読んでない。これから頑張れば読むことは可能かもしれないが、そもそも聖書は「一通り読む」ものではない。その言葉から、何を読み取り考えるべきか、ということは千年の単位で議論されてきた。そして、今でも聖書一冊に一生を費やす聖職者の方がいる。 >> 本をたくさん読むのはいいことなのか?の続きを読む