ちょっと前の記事で、厚切りジェイソンの講演がこちらに載っていた。
『厚切りジェイソン「空気を読むな、自分で考えろ」SLUSH ASIAで日本人の悪習をぶった切る』
どこか既視感のあるタイトルなので、どことなく見当はつく。そうですか、日本人は協調性重視で、個性を伸ばせない。そういう話だ。
後半の、本人の挑戦譚は面白いと思うけど、前段の日本人論は話半分に聞いたほうがいいんだろう。まあ、これは彼に限ったことではない。そういうと、よろこぶ日本人がいるからそういう話になるんだと思う。
しかし、日本人が極度に協調的で没個性的かというとそうとは限らない。そういう話は、大概日米の比較から来ている。彼のようにバイタリティが溢れる人間から見れば、そう見えるだろうが、世界にはいろんな国がある。
もちろん、日本の義務教育は画一性を求めるし、サービスが杓子定規になることもある。ただ、ファーストフードの統一マニュアルは元々米国生まれだし、日本だって融通の利く店はいくらでもある。
本当に米国人は自分のアタマで考えているのなら、相当の差別主義発言を繰り返すドナルド・トランプを大統領候補に選んだ人々の熱狂はどう説明するんだろう? >> 厚切りジェイソンの言ってることとかは、話半分に聞いたほうがいいと思うわけで。の続きを読む
最近、キャリアに関する話をすることが多く、自分が会社を辞めた頃のことも思いかえす。そして、しばらくの間は、しょっちゅう胸の辺りがブルブルしていたなあということを思い出した。
というか、正確には「ブルブルしているようだけど、実はそうでもなかった」というわけで、それは「幻想振動症候群」ということを後に知った。英語だとphantom vibration syndromeというわけで世界中で見られる現象なのだろう。
しかし、なんとファントム!なんか「オペラ座の怪人」が出てきて、いろんなモノをブルブル震わせているようだ。それじゃ、ポルターガイストか。
つまり、携帯電話が震えてもいないのに、そう感じるということだ。あるいは「空耳」みたいなものかもしれない。じゃあ、なんでそんな状況だったのかといえば、やはり日々緊張していたからだろう。
会社を辞めた頃からしばらくは、メールを携帯に転送していた。だから、どこでも受けて、とりあえず返信する。「ただ今移動中ですので、のちほど折り返し返信します」とかを定型文に入れていた。
パソコンも持ち歩いていたから、とにかくすぐに返信した。1人で仕事をするのだから、この辺りは相当気を使っていた。旅行に行く時もずっとパソコンを持っていて、初めてパソコンなしで旅をしたのは、辞めてから3年経った頃の北海道旅行だった。 >> 僕が「幻想振動症候群」だった頃。の続きを読む
先日、主としてミドル世代を対象にしたセミナーに行った。
会社を辞めて独立する、というだけではなく「会社員でありながら二足のわらじで頑張る」とか「会社との関係を維持しながら独立する」とか、いろんな方法があるんじゃないか?と考えてみるのが主眼だ。
聴講は多くが会社員だった。主宰の方は既に定年退職をされているが、在職中から本を書かれており、今でも現役社員から相談を受けるという。
会社員が「そろそろ辞めて、独立すっか」と思って、ヒョイと行く人はそうそういない。傍から見て「ゼッタイ大丈夫だろ」と思っても、本人は悩んでいたりする。
やっぱり、最大の悩みどころは「食っていけるか」ということだ。
そして、相談に来る人は、そもそもためらいがあるという。その時に、異口同音に言うのは「もう少し、研鑽を積んでから」というらしい。
いや、そんなこと言ってたらいつまでたっても会社辞めるのは無理だよ、という話になったのだけど僕もそう思う。
辞めて成功する確率が100%になるわけはない。そんなことは誰でもわかってる。問題は、気持ちの中で「80%くらいは欲しい」とか「せいぜい50%程度は」など、妙な計算を始めることだ。 >> 「確信」を求めてたら、いつまでも会社は辞められない。の続きを読む
会社員を辞めて、1人で働くようになった十年以上が経つと、昔の感覚を忘れるようになる。
もっとも、企業と取引しているビジネスが殆どなので、ビジネスについては実に広い範囲の話をしていて、これは会社勤務の時よりも幅が広いと思う。ただし「ビジネス感覚」は共有できても、「会社員感覚」というのは忘れてきていて、ことに異動や評価などをめぐる心情みたいなものは、懐かしい感じになっている。
もちろん人事システムや育成施策、採用方針などの相談は、仕事としてはおこなっている。
ただ、一番うっすらとしているのは「ほめてもらう」という感覚だろう。
フリーランスのプロを名乗っている以上、依頼されたら期待値以上の結果を出し続けなくてはいけない。などと、書いてしまうと恥ずかしいような文章になるが、それを続けられなければ、「はい、どうも」で終わってしまう。
ただし、評価と言うのは「次の依頼」があるかないかで決まる。それだけだ。誰もほめてくれない。
会社員時代だと、成果を出せばほめてもらえる。「頑張ったね」と口で言われなくても、査定と言うデジタルな結果により、ほめられていることになる。時には、まわりから「すごいですねぇ」とか言われたりもする。
まあ、この辺りをカン違いして会社辞めちゃったりもするんだけど、辞めてしまうと「すごいですね」とかは言われない。「ありがとうございます」と言われて、「またよろしくお願いします」というサイクルが基本だ。 >> 会社辞めてフリーになったら、誰もほめてくれないんだよね。の続きを読む
この時期になると、新入社員が現場に配属されている会社も結構あるだろう。歓迎会をやってトレーナーを決めて、毎年恒例の風景になる。
で、新人の育成については、昔から対照的な発想があって未だにそれが生きているように思うので、それについて書いておきたい。
1つは、古典的な徒弟制度の流れをくむ発想である。とにかくトレーナーと行動をともにする。寝食をともに、とまではいかないが飲食なども大切にする。ひたすら「背中を見て覚える」わけだから、効率がいいとは限らない。
やり方を教えるよりも「自分で考えろ」ということになるので、遠回りになることもある。
もう1つは対照的な合理主義である。仕事を可視化して、そのためのスキルを効率よく教えていく。私的な時間は切り離すし、外部からの知識の吸収にも熱心だ。
多くの新人にとってはストレスも少ないし、組織としてのリスクも少ないと言えるだろう。
ただし、そこに欠けているものも結構あるのではないかと思っている。
まあ、それぞれのいいところを組み合わせればいいのだろうが、あえて言えば僕の感覚に近いのは前者だ。 >> 新人には「星座」を教えない方がいいと思う理由の続きを読む