テレビCMが若年層特に十代に対して相当届いていない。このことは横山隆治氏の「新世代デジタルマーケティング」でも言及されていたし、こちらのブログにも書かれていた。
さて、そうなって来ると結構想像もしていなかったことが起きるかもしれない。
それは、有名だと思われていたブランドでも、そもそも「知られてない」という事態だ。
そもそも、「ブランドを知る」というプロセスってどうだったのだろう。子どもの頃から振り返ってほしい。
多くの人は「店で見た」というかもしれない。でも、本当にそうだろうか?飲料や菓子などは、そういうことも多いだろう。では、エレクトロニクスはどうだろう?電器店まで行くようになるのは、それなりの年齢になってからではないか。クルマはどうか?親と一緒にディーラーに行くことはそんなにはないだろうから、「家にある」か「街を走る」クルマを見て認知したのだろうか。
というように考えていくと、想像以上にTVCMによって認知が促進されていたのではないか?という可能性に思い至る。こればかりは検証しようもないので「自分は違う」と言われればそれまでだ。ただし、今のようにテレビ接触が減っていくと、「そもそもブランド知りません」とか、知っていてもイメージは追いつかないということになるかもしれない。
というのも、認知を得るための売り場自体が変わっていく。中高生がコンビニに行っても、ナショナルブランドに接する機会は減っている。ドラッグストアでもそうだ。特に十代向けの商品は乱立状態になっている。
そしてTVを見ないとなると、森永や日清や花王やP&Gという「誰もが知っているブランド」という前提は結構怪しくなるかもしれない。 >> 携帯各社のCMを真似てはいけない。の続きを読む
東京コピーライターズクラブ(TCC)という団体があって、そこでは毎年「優れたコピー」を評価して賞を出している。その賞のポスターのコピー、というか団体のあり方について、強い疑問を呈したブログを読んだ。
東京コピーライターズクラブ(TCC)は、そろそろ解散すべきだと思う。
「コピーライターの目のつけどころ」というブログなので広告ビジネスに関わってきた人が書いている。タイトルは結構激しいが、内容を見て「ああ、そうだよな」と思った。筆者が怒っているのは、「誰に褒められたいんですか?」という募集コピーだ。「いいね!」などをもらうよりも、「一番厳しいあの人に褒められたい。ですよね?」という結びで終わっている。つまり、業界の長老に認められることが最大の価値だというわけだ。
このTCCという団体だが、まず「新人賞」を獲得することで入会できる。新人賞と言うと、スポーツなどでは「リーグで1人」という感じだが、TCC毎年20名ほどが授賞する。ちょっと個人的なことを書いておくと、僕は社会に出て30歳までコピーライターだったが、この賞は獲れずにリサーチを志願して異動した。だから、TCCには憧れとちょっとした劣等感がある一方で、後に自分が研修を担当した若手が新人賞を受賞するととても嬉しい。
クリエイターは確固とした基準のないまま、悶々と悩むことが多いし、会社の先輩も好き勝手なことを言うから、第三者からのお墨付きは大きな自信になる。そういう意味で、広告賞のなかでも「新人賞」には意義があると思っている。 >> クリエイターは褒められるために働くのか?の続きを読む
民主党が新しいポスターを発表した。三種あるようだが、中でも話題になっているコピーがある。
「民主党が嫌いだけど、民主主義を守りたい」というキャッチコピーだ。
記事だなどでも、このコピーが特に話題になっているようで、見出しは「自虐的」となっている。
話題作りとしてはいいかもしれないが、この「自虐的」な広告表現はさて、吉か凶か。過去のケースを見ておきたい。
まずはソニーが推進していたビデオ規格の「ベータマックス」だ。もう、若い人にとっては歴史上の出来事ではあるが、家庭用VTRの規格でVHS型と並んでシェア争いをしていた。そして、劣勢になった時点でこんなコピーの広告をした。1984年のことである。
「ベータマックスはなくなるの?」
4日連続の新聞広告で、最終日は「ますます面白くなるベータマックス!」と締めくくられるのだが、インパクトの大きかったのは最初のコピーだった。
次に、セガがおこなった「湯川専務」の登場するCMだ。こちらは1998年。新聞広告で「セガは倒れたままなのか?」というコピーでスタート。もちろん、こちらも「ドリームキャスト」のキャンペーンへと展開させた。
そして、AIR DOのケースは1999年だ。大手が北海道路線の値下げなどをおこなう中で、「AIR DOをつぶせ!」というコピーで広告をおこなった。
その後の動きをみてみよう。 >> 民主党「自虐ポスター」の吉凶を占うと。の続きを読む
「有名人をコマーシャルに使わない文化」という記事があった。この記事では、最近のニュースなどを見て有名人の私的な領域と、業界の掟についていろいろ書かれている。具体的なことは一切書かれていないのだが、途中で「有名人をコマーシャルに使うということが、アメリカなどでは比較的ない」と書かれた後に、こうした結論になる。
(引用)『「有名人をコマーシャルに使わない文化」の背後には、「人間尊重」の哲学があるのではないかということを、昨日は考えていた。』
個人が考えてエッセイ的に書いてることだし、やや唐突な「三段跳び論法」みたいなものに細かいツッコミは野暮だと思うだけれど、広告やマーケティングについての無用が誤解が広がるのもどうかと思うので、「有名人とCM」について簡単に書いておこうと思う。
・タレントCMは日本特有なのか?
この方も米国との比較で書かれているが、たしかに米国よりは多いと言っていいだろう。米国のハリウッド俳優がCMに出ることは少なく、日本国内でオンエアするものだけに出演することもある。
ただし、世界には米国以外の国もあるわけで、アジアの国では日本のような「タレント広告」も多い。これはネットで調べてもいろいろとケースがある。
また、同じ有名人でもスポーツブランドの広告に選手を起用することはある。ナイキの広告にジョーダンが出演して以降、このような起用は多い。
・なぜタレント広告が多いのか? >> 「有名人とCMと文化」についての整理。の続きを読む
M-1グランプリでNON STYLEが「ユニクロだけに書き下ろした新作漫才ネタ」をやったのが話題になっている。
これはユニクロのサイトにあった言い回しなんだけど、実際は「ユニクロのための広告を漫才スタイルで制作した」というのが正しいと思う。つまり、明らかな広告なのだ。
これ、オンエアでは見なかったのだがその後、いろいろと話題になっている。評判もいいようで、これを「ネイティブアド」と評した記事もあった。
まあ、そうかもしれないけど、これはまさに「生コマCM」だと思う。
すでに「生コマって何?」と思う人もいるかもしれないが、朝のワイドショーなどでスタジオで商品説明をしながら、実演するタイプのCMである。花王やライオンなどは今も続けている。
この生コマは、結構テレビ草創期からあった。そもそも、その頃のテレビは生放送が中心で一社提供が多かったので、それも自然だったのだ。
その後、生コマは減少していき、広告制作の世界でもある種の職人芸の世界になった。生コマCMのクリエイターは、なかなか評価されにくいこともあり、若手が「やってみたい」というのはまず聞かない。
今回はすべてが生ではなく、ウェブ限定のコンテンツもあるようだが、発想は「生コマ」と言っていいだろう。そして、漫才で作ったところがちょっとすごい。番組との境界線がないので、そりゃ見てしまうだろう。
それで思ったんだけど、この手法はいろいろと効果が云々されるTVCMの意外な突破口になるかもしれない。ま、思いつきだけど
・サッカーのハーフタイムに、解説者がスポーツグッズなどについて語る
・音楽番組で歌手がスポンサーをからめた広告ソングを歌う
・クイズ番組でスポンサーがらみのネタを、クイズ形式で披露する
もちろん、これはそれなりにハードルがあって、今回もスポンサー・タレント・局のそれぞれの調整が大変で、代理店も苦労したと思う。
タレント契約や報酬などをどうするんだとか、労力を考えると「ああ、やっぱ自分だったらやりたくないし、CM流している方が楽だよな」とか思うんだけど、とはいえ15秒を何回か流すだけのCMはこれ以上の効果を上げるんだろうか?やってみる価値はあると思うんだけど。
あと、意外な効果として、この漫才広告を見てるとユニクロが「お大尽」に見えてくる。「よし、うちらのカネでおもろいことやって笑わせてみ」という大物感。つまり、堂々と「広告だよ」ということで、むしろ効果を高めているんじゃないだろうか。
「広告だと効きません」という流れの中でのステマ騒ぎをなど見ていると、「これは広告」というクレジットに堂々とした雰囲気を感じてしまう。やっぱ広告おもしろいじゃない、って久々に思ったけどね。