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年末が近づくと、掃除関連のCMが目立つ。

そして、フト気が付くと、トイレはことごとく男が洗っているような気がする。いや、少なくてもCMの上ではそうだ。

たとえば、大王製紙の「キレキラ」は昨年からバカリズムが掃除していて、今年も同じ路線だ。

また、ジョンソンのトイレスタンプクリーナーは、まず出てくるのは女性。トイレを見ながら「今日も掃除してくれたんだ」と言うと、男性が「してないよ」とつぶやく。「週1回のスタンプクリーナーでキレイ」という訴求だけど、どうやら夫がいつも気を遣っているという設定になっている。

そして、ふと気づいたんだが山下智久もトレイを掃除していた!LIXILのCMではアリの恰好でゴシゴシやっている。茶々をいれるキリギリスは、ピエール瀧だ。さすがに、洗剤で自宅の掃除をしてる設定ではない、このキャスティングが逆では全く面白くないだろう。

ネット上でザックリ調べると、こんな調査があって「トイレ掃除は奥さん(彼女)に任せている?」に、ハイと答えた人は31.2%で明らかに少数派になっている。

CMが、「男女役割を固定させるな」という声に気を遣ったというよりも、それがリアルな風景なんだろう。

もっとも、トイレの汚れについては男性が敏感になる面もあると思っていて、それは使用方法による。便座をあげて用を足すことが多いので自然と汚れに目が行くんじゃないだろうか?

と思ったんだけど、こちらの調査によると「”座ってする”派の男性は約6割」だという。(しかし、トイレのことで、掃除やら座り方やらこんなにいろいろ調査している国って他にあるんだろうか)

つまり、どう使うかとかに関係なく、トイレ掃除については「男の時代」になっているのだ。

広告などでは1970年代後半くらいから、つまり40年くらい「女の時代」と言うことになっていたけれど、トイレ掃除はちょっと違うようだ。

ちなみに、海外だとどうなのか。定番商品のLysol Toilet Bowl CleanerのCMなどを見ると、家族は出て来るけれど誰が掃除するかはわからないようなつくりだ。

そういえば、男性はトイレ掃除するのか?と思ってtoiletや cleaningとぁ husbandなどと英語で検索してたら、恐ろしいページがサジェストされてしまった。

何か疲れたので、とりあえずこの辺りの話は以上で。



日本インタラクティブ広告協会(JIAA)が、「ネイティブ広告ハンドブック」を公開した(リンク先pdf)。全体としてはハンドブックではあるけれど、技術的な手引きにとどまらず広告の本質について、深く考察した上での構成になっている。

1章の“「ネイティブ広告」とは何か?なぜ注目されるのだろうか“という論考は、広告の本質を捉えていて、広告に携わる人や学ぶ人にとっても価値がある内容だ。

ネイティブの反対語が「エイリアン」であるとして、「広告が邪魔者・嫌われ者だったかもしれない」という議論は、いい広告を作る上で欠かせない。実は、そうした自覚があったからこそ、広告はビジネスとして発達してきたし、ときには社会全体に対してインパクトを与えるようになったのだろう。

そして人は、見るものを「これは広告だ」という了解のもとにその価値を判断する。

「何が書いてあるか」ということは、「誰が書いたのか」によってその影響力は違う。それは、日常的にもよくあることだ。

有名人の「名言」をありがたく思う人は多いけど、実は同じようなことを自分の親や学校の先生が言っていることもあるだろう。「話者」というのは、それだけでもたくさんの研究がある。

広告は、そうした前提のもとに、いわば「好かれるエイリアン」であろうとした。それが競争の大前提であり、ゲームのルールだ。今回のハンドブックは、その大切なところについて本質的な議論を提示している。

全体を通読すると、広告の未来に向けての新たな道筋が見えてくるだろう。
>> 広告の本質を突く、「ネイティブ広告ハンドブック2017」の続きを読む



資生堂「インテグレート」のCMがオンエア中止になりました。若い女性をターゲットにした広告でしたが、CM内の言葉を「セクシャル・ハラスメント」と捉えた視聴者からの声に配慮したということです。

このようなケースは他にもいくつか見られました。たしかに「文句を言われる可能性」は感じます。ただし、ハラスメントとは決めつけられないとも思います。これは人によっても意見が分かれるし、私としても白黒ハッキリ論じにくいテーマだと考えてます。

資生堂は女性向け商品を中心に、長いこと多くの広告を制作してきました。今回の件も制作側に悪意はないと思いますが、なぜこうした問題が起きるのか?

それは、「インサイト」と「ハラスメント」という異なる視点からの発想が、ぶつかっていることが理由だと思います。

広告やマーケティングの現場ではインサイト(insight;洞察)という言葉を使います。ターゲットのなる人の心の奥底にある意識、つまり「その人になりきって考える」というような意味合いです。

今回のCMでも20代女性のインサイトを掘り下げようとしたと思います。

また一般的にはそのためのインタビュー調査などもおこなわれます。そういう意味で、この広告の制作者はインサイトをつかむための努力をしたと考えられます。

さて、それでは、ここで別の視点で考えてみましょう。

今回の広告ですが、こうした言葉が「独り言」だったら問題になったでしょうか? >> インサイトとハラスメントの狭間で揺れた資生堂のCM。の続きを読む



ac広告代理店の営業について、いろんな会社の人、つまり広告主サイドから話を聞くのだけれど、ここ10年くらいは同じような傾向だ。

一言でいうと、「困った時に相談できない」という。その理由は単純で、広告テクノロジー関連の知識が浅いからだ。マス広告以外のことだと、メディアでもクリエイティブでも「スタッフを連れてきます」になる。(ちなみに今日の話で念頭においてるのはいわゆる「総合広告代理店」のことだけど、ネット系においても実情は色々のようだ。)

ただ、連れて来るだけなら誰でもできる。

かつての営業はスタッフを仕切りつつも、一定の専門知識を持っていた。だからこそ、どのスタッフが優秀かがわかる。つまり、優れた目利きだった。そして、ビジネスにおいては、「多頭立ての馬車」を操る馭者のような存在だった。

だから、当人に専門スキルがなくても存在価値があったのだ。

ところが、広告ビジネスはインターネットによって「一から勉強」の必要が出てきたが、それが面倒な営業はとりあえずスタッフを「連れてくる」。ところが、目利きの仕事になっていない。

そこで、広告主は「営業のグリップ力が落ちた」という。馬車の馬が勝手に走っているような状態になってきた。

こうなると、営業の存在価値は低くなるし、場合によってはビジネスを混乱させる。 >> 広告代理店の「営業」の、存在価値って何だ?の続きを読む



電通のデジタル不正事件(記者会見の件もあってこういう呼び名になっているらしい)は、広告ビジネスの組織に関する問題が底流にあるのではないかと思ってる。

先日の大学の講義でも、このケースのことを取り上げた。後期はメディアについて突っ込んだ講義をするので、ネット広告の構造を知るのに恰好の課題だと思ったのだ。

あと、ネットに飛び交う「なんでもかんでも電通陰謀論」などに染まらないようにすることも大切だと思うし。

で、事件を報じる記事を見せて、まず学生にペーパーを回して質問を受けた。当然だけど「なぜ?」という質問が多かったので、日経ビジネスオンラインの記者会見詳報を見せた。

そして、会見の最後の言葉に注目して説明した。以下のくだりだ。

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「いま調べられている範囲のなかでは、最初から『故意にやった』ような内容は確認できていない。まず最初にミスがあり、あるいはミスとはいえなくても(社員の)力量と時間が足りず、発注いただいた通りに広告が掲載されなかった、あるいは、あとから気づいたら(発注された通りに)なっていなかった。たとえば広告主と約束した期間とズレたことを、そのまま報告せず、期間内に掲載されたかのように、事実と異なるレポートを故意にした、というケースはある。ですから報告を改ざんした、という意味での悪意は認められているが、ご質問のように最初から何かしてやろうということは現時点ではない」(太字筆者)
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読んで思ったのだが、これは、典型的な「未必の故意」ではないだろうか。この言葉の定義の細かな説明は省くけれど、「当初から明らかな犯意はないけれど、そうなるかもしれないと思って行動する」という心理状態のことをいう。 >> 電通デジタル不正「未必の故意」はなぜ生まれたか?の続きを読む