広告を見ていると、ターゲットを読む癖がある。癖、というよりは半ば仕事だ。ことにTVCMはタレントや音楽などの情報量も多く、良くも悪くも「マス」を狙っているために、戦略が見えやすい。
いまは、企業の自社サイトや動画チャネルでCMを見られるから、大学の講義で読解するにも最適の素材だ。たとえば、ポカリスウェットの夏と冬の、一見バラバラのCMを見ていくだけで、商品ポジショニングとターゲットが浮かんできたりする。
ただ、こうしたCMが自分に、いや正確には自分たちの世代に向けられていると感じる時があって、それはそれで複雑な気持ちだ。
企業から、「あなたがお客さんだよ」と言われるのは、基本的に「買ってくれそうな人」ということだから、わるいことではない。呼び込みから声をかけられない、というのははなから諦められてるってことだよね。
ただ、「こうすればOK」って思われてるのか?という時もあるわけで、最近はそういう経験が多い。単純に書くと、「80年代」のネタが多く、細かく言えば「80年代体験」のようなものが狙われている感じだ。 >> CMに狙われる「80年代のオジサン」たち。の続きを読む
贈る習慣はないが、ついつい見てしまう。「老舗・名店の逸品」とか、「もぎたてフレッシュ便」とかいろいろ工夫が凝らされている中で、「私はずっとここですけど」と静かに主張しているモノたちがいる。
ハムだ。
ハムといっても、薄いハムではない。贈答用のズッシリしたハムだ。日持ちはするし、嫌いな人はまあいない。だから今でも定番なのだろう。しかし、改めて見て驚いた。
ネーミングがすごいのだ。重々しいというか、大仰というか、猛々しいというか。申し合わせたように筆文字だ。そうだ、中身ではなくラベルのデザインもズッシリなのだ。
ううむ、これは「ますらおぶり」とでも言うのか。既に本来の意味から遠い気もするが、外れてもいない気がする。
まず、伊藤ハムは「伝承」だ。しかし、それだけでは弱いと感じたのだろう。「伝承献呈」とある。もう、これは頭を垂れるしかない。そして、黒豚は「黒の誉」だ。誇り高き黒豚の雄姿が目に浮かぶ。
日本ハムは「美ノ国」だ。「うつくしのくに」と読むらしい。ややソフトであるが、もちろん筆文字である。
プリマハムは「匠の膳」に「匠の逸品」と来る。もう、ここまで色々と書いているだけで口の中にはハムのうま味と触感が溢れてくるようだ。 >> ハムのネーミングの「ますらおぶり」と、あのミニバンのCMについて。の続きを読む
もはや、広告制作の現場で仕事することは殆どないけれど、だからこそというか、「どうしてこの企画になったんだ?」といろいろ想像したくなることはある。
大概の場合「企画書が透ける」ような感じで、ミランダ・カーが黒烏龍茶に出れば「ああ、ターゲティング変えてきたな」と大変わかりやすいので、講義などでは重宝する。もっとも、そのまま烏龍茶に出てきて「口さっぱり。息すっきり。」とか言われると、ポジショニングが迷走してるんじゃないかと心配にもなるが、まあ、意図は読める。
で、最近気になっているのがとあるタワーマンションのコピーで、それは「日本一、感じのいいタワマンへ」という物件だ。場所は東京の武蔵小山というあたり。
そもそも、少しでも広告制作にかかわった人なら「最上級表現」には敏感なはずだ。「ナンバー1」とか言う時は、根拠を明示しなくちゃならない。
しかし、どうやったら「感じのいい」という感覚をランキングできるのか。よく見ると「日本一」というコピーの脇には、※1という表記がある。
で、下の方にはこの再開発プロジェクトの「気持ち」みたいなことが書いてあって、「日本一、いつまでも愛されるまちづくりを目指します」ということだった。まあ、目指すなら公取委も文句言わないだろうけど、そこまでして「日本一」にこだわる執念はなぜなのかも気になる。
そして、わざわざ「感じのいい」という言葉を選んだことが一番気になる。ということは、タワーマンションと言うのはそれなりに「感じの悪い」ものがあるんだろうか。建物が威圧的で感じが悪いのか、住んでいる人に何か特徴があるのか。プレゼンテーションで、そんなこと言ったのか。いや、いろんな切り口からこの物件を「感じがいい」と定義して、しかも日本一を目指すというのは、どんな企画書だったんだろ。
まあ、どうでもいいことかもしれないけど、一度サイトを覗いてからやたらと広告を見るとの、そのたびに気になってしょうがないのだ。
で、さらに個人的に気になるのが「タワマン」だ。というのも、タワーマンションを「タワマン」と略すことが、僕の感覚だとあまり「感じがいい」とは思えない。
横文字をカタカナにしてそれを縮めるのは日本語の得意技だし、エアコンとかミスチルとか昔からあるけど、最近で気になるのは「スマホ」「コスパ」「タワマン」で、これはなんだか引っかかる。
理由は分からないけど、こればっかりは感覚的なものなので、どうにも説明しようがない。ちなみに「ファミコン」や「パソコン」はまあいいんだけど、「スパコン」は違和感があるんだよな。
というわけで、「感じのいいタワマン」という、個人的にはあまり感じのよくない語感の物件はどうなるのか。別に個人的には何の関係もないんだけど、なんか引っかかっているのだった。
広告がまた炎上している。そして、サントリー「頂」の一件を見ていて思ったんだけど、もはや「文脈(context)」ということを広告クリエイターがあまり考えなくなったんだろうな。
いや、かつては打ち合わせで「この企画の文脈は~」とか、そんな話をしていたわけじゃない。表現を考えたときに、「誰がどんな時にどう感じるか」をいうことをどこか意識しながら、「これはやばいんじゃない」とか話しながら企画を固めていたはずだ。
いや、別に文脈っていうのはそんな難しいことじゃなくて、講義や研修などではこんなことを話している。
いきなり、一人の学生や受講生に向かってこう言う。
「バカ」
で、「ごめん、いまイラッとした?」というと、大概の人は頷く。中には「相当むかついた」という人もいる。
そうだよね。じゃあ、こういう会話はどう?
「あ、いっけねえ~」
「どうした?」
「この暑いのに、ホットの缶コーヒーのボタン押しちゃったよ」
「バカだね~」
ほら、別にイラッとしないでしょ。同じ「バカ」でも文脈によって感じ方は違うんだよ。ただし、それが微妙なところもあるんだな。 >> 問題になる広告は、「文脈」を忘れてる。の続きを読む
CMの「炎上」が止まらない。
ユニ・チャームの「ムーニー」が2016年12月に作った動画が、今になって「炎上」したらしい。こちらの辺りの記事で知った。その後もいろいろな人が、いろいろと書いているけれど、どうやらCMにおける「リアリティ」の捉え方が急速に変わっているように感じる。
広告はフィクションはノンフィクションか?これは、結構おもしろい問いだ。
それは、フィクションであり、ノンフィクションだと考えていいだろう。展開されるストーリーの多くはフィクションだ。タレント同士が恋人役を演じていても、それは「お約束」だ。ある程度の誇張も許容される。
一方で、商品自体の情報はノンフィクションでなくてはならない。事実を伝えなければ、問題になるし、それは法規制にも引っかかる。だから、一部の誇張表現や、「NO.1」みたいな表現には但し書きがある。
この、フィクションとノンフィクションの狭間で「事故」は起きる。それは何でだろう?と考えると、3つほどの理由があると思う。 >> CM炎上は正義がもたらす「表現狩り」か。の続きを読む