104曲も交響曲を書いているし、ドイツ国歌もそうだ。ただバッハほどの崇高さにはおよばず、モーツアルトのような天才イメージも薄く、もちろん時代が下ったベートーヴェンほどに劇的でもない。
しかも、「おもちゃの交響曲」を作ったと言われていたこともあり(実際は違う)、あだ名が「パパ・ハイドン」だ。そして、標題がつくと「軍隊」「時計」に「驚愕」だ。
子ども向けだと「びっくり交響曲」とか言われていたこともあって、イメージ的にも何というか、いま一つ深みがない。
というわけで、若い頃にハイドンのディスクを買ってわざわざ聞こうとはなかなか思わなかった。
そんなハイドンのイメージが変わるのが、短調の交響曲たちだ。なかでも「疾風怒濤期」といわれる時代の曲を集めたこのアルバムは、引き締まった演奏で奥行きも深い。「哀悼」「告別」「受難」という標題がつく3曲だが、最初に聞いた時は、「エ?ハイドンなの?」と思った。
まあハイドンも「やればできる子」的な感じなのだが、また後年の円熟期になるとこうした哀しくも劇的な作風はあまり伺えない。
このディスクの解説(平野昭)は、この辺りの背景についても詳しいのだけれど、それがまた興味深い。ハイドンは30代半ばに宮廷楽団の学長に昇進するのだが、それによって、世俗音楽から教会音楽も受け持つようになった。 >> 秋雨の日に、ちょっと劇的な「疾風怒濤」のハイドン。の続きを読む
「ハドソン川の奇跡」という映画の邦題が、原題と相当違うということが話題になっていた。原題は「Sully」で主役となる機長の愛称らしい。このままでいいのか?と思案するのはよく分かるが、観た人によっては違和感を感じるという。
映画の邦題は、この辺りが悩ましい。原題でも「スターウォーズ」のような感じだったら問題ないのだが、英語文化の文脈でしかわからないものもある。
じゃあ、オペラだとどうなんだろう?これは基本的には「そのまま日本語」か「そのままカタカナ」だ。
「フィガロの結婚」とか「セビリアの理髪師」のようにいくか、「アイーダ」や「ラ・ボエーム」のどちらかになることが多い。そのまま訳して、かつ短い造語にした「魔笛」というのもあって、これは見ただけでピンと来る。ちなみに「椿姫」はオペラの「トラヴィアータ」ではなく、小説原題を訳している。
まあ、タイトルでヒットを狙おうという業界ではないのだから当然なわけで、古典小説のタイトルと同じような感じだ。
ただ小説でも「あゝ無情」「巌窟王」のようなものもあって、さすが黒岩涙香は興行師的感覚があったのだろう。まあ、さすがに近年は「レミゼラブル」だ。
で、オペラ邦題の傑作を挙げるとすると、ウェーバーの「魔弾の射手」だろう。オペラだけじゃなくて、さまざまな海外作品の「邦題NO.1」だと思う。 >> 上手な邦題私的NO.1は「魔弾の射手」の続きを読む
先日、N響のコンサートを聴いて改めて思ったのだけれど、ムソルグスキーという人は「編曲意欲」を掻き立てる作曲家だったんだろうと、改めて思う。
「はげ山の一夜」の原典版はたしかに野趣あふれて面白いんだけど、それはリムスキー=コルサコフ編曲を知った上でのことだ。
あの編曲がなかったら、やはり「珍曲」として歴史の中に埋もれたようにも思う。少なくても、日本の教科書には載らなかったし、「ファンタジア」で使われることもなかっただろう。(たしか中学の教科書の鑑賞曲だった記憶がある)
そう考えると、腕っこきの作曲家にとってムソルグスキーの曲は、相当に「編曲意欲」を掻き立てられるものだったのだろう。
オーケストラ編曲も、ラヴェル以前に手がけたものがあるようだし、ピアノもリムスキー=コルサコフが編曲したものもある。
その上、ELPや冨田勲などもアレンジをしている。原典版として有名なのはリヒテルだが、そもそもそこに拘る必要はどれくらいあるんだろう?とも感じる。 >> ところで「キエフの大門」って何て読むんだ?の続きを読む
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
2016年9月17日 東京芸術劇場大ホール
ムソルグスキー/交響詩『はげ山の一夜』(原典版「聖ヨハネ祭のはげ山の一夜」)
武満 徹/ア・ウェイ・ア・ローンⅡ(1981)
武満徹/ハウ・スロー・ザ・ウィンド(1991)
ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編曲)/歌劇『ホヴァンシチナ』より第4幕第2場への間奏曲「ゴリツィン公の流刑」
ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/組曲『展覧会の絵』
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ヤルヴィとN響の評判は相当高いのだけれど、やっと聴きにいくことができた。サントリーホールの定期演奏会と同じ曲目で、会場は池袋。東京都の主催公演のようだ。
展覧会の絵が終わって感じたのだけれど、このコンビは相当聴きごたえがある。N響の黄金時代を築く可能性があるし、在京の他のオケにとっては相当な脅威だろう。
N響は「大人のオケ」だ。だから、時によっては退屈とも言われるが、そもそもの水準は高いしレスポンスはいい。だから、適宜オケに委ねつつ、ここというところを締めるようなヤルヴィはN響の潜在能力をフルに引き出す。 >> ヤルヴィはN響の黄金時代をつくるのか。の続きを読む
【今日の音楽とディスク】 ロッシーニ「弦楽のためのソナタ」 イタリア合奏団
夏が終わろうとしている。というか、お盆明けから東日本は気候不順で、その後の台風ですっかり夏気分は終わった。
オリンピックが終わったことも象徴的だったけれど、あの辺りで今年の夏は店仕舞い。オリンピックは、閉幕前の男子4×100mリレーの爽快感があったけれど、終わると同時に爽やかさとは遠い事件がやたらと出てくる。
そして、さらに台風が来るらしい。
夏になってから、ディーリアスやラプソディ、メンデルスゾーンの無言歌などを紹介してきた。夏とクラシック音楽は、あまり相性が良くないと思っていたけど、探していくとそんなこともないかもしれない。
ベートーヴェンやワーグナーあたりが、ちょっと暑苦しいイメージなのだろう。
そして、ちょっと先取りして初秋にはどんな曲だろう。ブラームスやドヴォルザークは、もう少し秋が深まってからだと思うし、ちょっと夏の余韻がほしい。
というわけで、お薦めはロッシーニの「弦楽のためのソナタ」ということでいかがだろう。 >> 初秋の風が吹いたら、ロッシーニの「弦楽のためのソナタ」を。の続きを読む