東京宝塚劇場公演 宙組
グラン・ステージ「トラファルガー」
グランド・ショー「ファンキー・サンシャイン」
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想像以上に暑い。梅雨が例年になく「ガッチリ」していて梅雨前線もしっかりしていたが、こうした年の夏は暑くなる(ことが多い気がしている)。天気図を見ても週末までは太平洋高気圧がドッシリ構えていて、かなりの暑さが続きそうだ。
日本では天候のメリハリが消費に直結するので、飲料やエアコンなどの業界には久々の追い風だろう。もっとも、一昨年のように8月に入ってから天候不順になったケースもあるのでなんともいえない面はあるけれど。
昨日は自分にとっては実質的には休日扱い。週末でも働くときは働くので、こうした昼公演の芝居や落語を見る日は、前々から終日空けておく。普通だったら昼前から銀座に行ってゆっくりするのだけれど、この暑さで昼飯まで家にいて、地下鉄に乗って逃げるように劇場に入った。
「トラファルガー」はネルソン提督の勇猛でダイナミックなストーリー、ではなく基本は「不倫話」である。ネルソンの功績は知ってはいたけれど、不倫が史実だったとは知らなかった。タイトルが有名な海戦だし、宝塚では青池保子の「エル・アルコン」を舞台化していたので、そのあたりのギャップはあったかもしれない。
つまり、想像以上に陸地のお話で、ややイメージが違ったかな。とはいえ、構成自体はしっかりしていて、それなりに楽しめる。この舞台ではネルソンは女性に対して堅物で、不倫相手の夫人はクレバーに描かれているけれども、あとで調べてみるとそういうわけでもなさそうではあるけれど。
この舞台ではトップの大空祐飛がネルソンを、二番手の蘭寿とむがナポレオンを演じる。(しかし宝塚の名前は変換が大変)改めて思ったのだが、世界レベルでの後世への知名度はナポレオンが圧倒的だけれど、この戦いで勝ったのはネルソン。
考えてみるとナポレオンは英雄ではあるものの、フランス以外では相当の嫌われ者だったのだろう。ハイドンの「ネルソン・ミサ」は、ネルソンの勝利(ナイル海戦)にちなむし、ベートーヴェンは「英雄」をナポレオンに献呈しようとしたが、皇帝就任の報に怒ってやめてしまう。チャイコフスキーの「1812年」はナポレオン軍の敗走とロシアの勝利を描いているが、国歌をあそこまでケチョンケチョンにした曲は珍しい。
ナポレオンを称えたアーチストは、「戴冠」「アルプス越え」を描いたダヴィッドは思いつくのだけれど、彼はお抱え画家。いったいナポレオンとは何だったのだろうか。
ちなみに自分が子どもの時に好きだった伝記は「エジソン」と「ナポレオン」だった。夏休みにナポレオンのことを描いた本でも読んでみようか、とそんな風に興味が移るのも芝居の楽しみではある。
『あの頃の噺』~市馬・昇太・談春 前座噺の会~
7月14日 スペースゼロ(東京・新宿)
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この3人の都内の独演会は、それぞれチケットを取るのがかなり難儀な人気者なので、一堂に会したこういう会は、さらに難儀になってしまう。今回は妻の知り合いが行けなくなって、直前に譲ってもらえた。
談春の「真田小僧」市馬の「たらちね」に昇太の「雑俳」と続いて3人のトーク。休憩を挟んで昇太の「狸札」に続いて談春が「狸鯉」、そして市馬の「牛ほめ」。
前座噺を、旬の落語家が競演するという企画はなかなかに贅沢なものである。
喩えていえば、いやマッタク違うかもしれないけれど、一流のアーチストがいわゆる「ビギナー向けの名曲」を演奏したディスクにも似ているかもしれない。
カラヤン=ベルリンフィルの「フィンランディア」とか、ホロヴィッツの「トルコ行進曲」って、過剰な贅沢感があって好きなんだけど、結構近い気もした。
ところが、トークでなるほどと思ったんだけれど、前座噺は決して「よくできた噺」とも限らない。つまり、フツーにやると十分つまらなくなる。これは、落語のすごいところなのかもしれない。
西洋音楽のビギナー向けの曲は「ビギナーがやってもさまになる」ようにできているんだけれど、落語はそうとは限らない。
そうか。前座の噺家がつまらなく感じるのは、そうした試練があるからなのかと改めておもった。今回聞いた噺も、「談春だから」「昇太だから」という「プラスのハンディ」を感じる面もある。そういう意味でいくと、市馬の落語はそのままに面白かった。
そういことが何となくわかるのも、また前座噺のおそろしいところでもある。
東京・春・音楽祭 東京オペラの森2010
4月9日 19時 東京文化会館大ホール
■出演
指揮:リッカルド・ムーティ
ソプラノ:デジレ・ランカトーレ/カウンター・テナー:マックス・エマヌエル・ツェンチッチ/バリトン:リュドヴィク・テジエ
管弦楽:東京春祭特別オーケストラ
合唱:東京オペラシンガーズ/児童合唱:東京少年少女合唱隊/合唱指揮:ロベルト・ガッビアーニ
■曲目
モーツァルト:交響曲第35番 二長調 K.385 《ハフナー》
オルフ:世俗カンタータ《カルミナ・ブラーナ》(字幕付)
カルミナ・ブラーナを生で、しかもトップクラスの指揮者で聴ける機会は滅多にない。というわけで、チケットを買うことは躊躇なく決定。1F右サイドだったが、東京文化の1Fは正面よりもこちらの方が好きなのだ。ここに空席があった。
ハフナーは2005年にムーティがウィーン・フィルと来日した時に聴いた。D-durで弦がよく鳴る。この日もメヌエットの頃からオケが温まってきて、フィナーレの頃にはいい響きになってきた。
東京文化で、このサイズのオケはちょっと響きが細く聴こえるのだけれど、カルミナ・ブラーナについては、このホールの美点が十分に発揮されるだろうな、と改めて思う。オケはティンパニーが期待できそう。全体的には日本のオケの標準よりは安定している感じ。
ムーティは、「立派な」指揮ぶりで、モーツアルトだと時に違和感を感じる人もいるかもしれない。
さて、休憩を挟んで「カルミナ・ブラーナ」いや、素晴らしかった。この曲、生で聴くのは初めてだったんだけれど、実はクラシック好きでなくても第1曲を聴くと「ああ、これか」と思う人も多いだろう。映画の予告編や、スポーツの特番などでよく使われる。
映画だと「地球最後の日」や大規模テロなどのカタストロフィーもの。スポーツ特番だと「ワールドカップへ最終決戦!」みたいな時だな。
つまり「大げさな音楽」、これぞクラシックな曲なのである。
昇太を聞いた。本多劇場6日の夜の「ムードデラックス」は、遊雀の達者な「粗忽長屋」に続いて、「天狗裁き」、自作の「花粉寿司」中入りを挟んで「花見の仇討ち」。 「天狗裁き」は15年以上前に名古屋で米朝の名人芸に接した記憶がある。久しぶりだが楽しめた。「花粉寿司」はひたすら笑える怪作で、結果的には「花見の仇討ち」がバランスよく収まったという感じだろうか。 それにしても寒い。昼は自宅で1人だったのでそばを茹でた。妻がかえしを作っていたので、だしをとってつゆを温める。冷蔵庫にあったエリンギと油揚げ、ねぎを刻んで、最後に岩海苔で仕上げ。 常備菜のひじきなどもあり、1人穏やかな昼食。 きづいたんだけどキューピー3分クッキングって、ちょうど昼食の支度しながら見ることになるんだな。主婦にとっては「夜はどうしようか」となっているわけで、たしかによくできた時間帯なんだ、と今日自分で作っていて改めて思った。
ちょっと前なのだが、新国立劇場で「神々の黄昏」の再演を見てきた。前回はすべて行ったのだけれど、今回はこの回だけである。3月18日の初日のチケットを直前に買った。
歌手はブリュンヒルデを初めに、十二分に楽しめた。オケは、「まあこんな感じかな」と思ったのだけど、3幕の葬送の音楽あたりからイージーミスが目立った。
さして困難とも思えない音域で金管が外したり、アインザッツが狂ったり。最後の10分で試合をひっくり返されるサッカーゲームのようなものだろうか。
それにしても、16時に始まって、22時を越える大作である。それも、これが4日目なのだ。全4夜の「ニーベルングの指環」は、そもそも、どんな話かも分からないという人が多いので、今回はコンパクトなあらすじをまとめておいた。各話とも、twitterサイズとというか、30字以内+教訓つき。
関心のある人は、ぜひ参考に。
・序夜「ラインの黄金」
悪者が乙女から強奪した黄金を神様が奪って立派な城建てる
教訓:人を見たら泥棒と思え
・第一夜「ワルキューレ」
なさぬ仲の兄妹の息子を守った女は父に勘当され眠らされる
教訓:親父の説教と冷酒は後から効く
・第二夜「ジークフリート」
腕白に育った勇者はやがて大蛇を倒して女を助けて結ばれる
教訓:果報は寝て待て
・第三夜「神々の黄昏」
騙されて浮気した挙句に男が殺され女はブチ切れて世界崩壊
教訓:かわいさ余って憎さ百倍