昨日(4/24)のNHKスペシャルは「若冲」だった。
上野の展覧会も期間が短く、いつ行けば比較的空いているのかと算段していたくらいなので、この番組が混雑に拍車をかけるのだろうなぁと思いながら見始めたら妙な違和感がある。
ナレーションだ。女優の小松菜奈を起用しているが、どうしても気になる。先に言っておくと、彼女が飛びぬけて下手というわけでもない。ちょっと突き放した覚束ない感じだけれど「ドキュメント72時間」などだったらテーマによっては映えると思う。要するにキャスティングのミスだ。そういう意味では、ちょっと気の毒である。
画家の未知の世界に迫ろうとするあまりか、語りには妙な切迫感がある一方で、時折語尾に不要なアクセントがつく。「超高精細」ということばが「チョウ・高精細」のように聞こえてしまう。
イチゴのソースをパンケーキにかければおいしいかもしれないが、炊き立ての上質な白米にかければどうなるか。殆どの人が、「ちょっと待てよ」と思うだろう。
この場合、ソースに罪はない。調理人が無能だという話になる。 >> Nスぺ「若冲」のナレーションは、”白米にイチゴソース”だった。の続きを読む
プリンスが他界した。1958年生まれということで、ふと思い当たって確かめたらマイケル・ジャクソンの生年と同じだった。
アーチストの年齢というか、そのキャリアはちょっと特異で、若くして有名になることも多いためピンと来ないこともある。
先週の土曜日に聴いたマウリツィオ・ポリーニは74歳だが、1942年生まれの有名なミュージシャンはポール・マッカートニーだ。カテゴリーは異なるが、それぞれの世界で「戦後を代表する」と言って間違いないだろうし、「最高の」という惹句がついてもおかしくはない。
ところが、この2人が同年齢ということも、またちょっと不思議な感じがする。
実は世に出たタイミングは2人とも近い。ビートルズのデビューは1962年だが、その2年前にポリーニは18歳でショパン国際ピアノコンクールに優勝している。ちなみに5年後の優勝者はアルゲリッチだ。
ビートルズが解散するまでの活動について今さら書くことはないが、この頃のポリーニは表立った活動をしていない。1968年にショパンのアルバムを出しているが、その後本格的な録音を始めるのは、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3楽章」で世の度肝を抜き、ショパンの練習曲集で世評を確立した。
つまり、マッカートニーは20代にして頂点を極める一方、ポリーニは30を前にして本格的に世に出ることになる。 >> ポリーニとマッカートニーは同じ歳だったんだなぁ。の続きを読む
府中市美術館の「ファンタスティック~江戸絵画の夢と空想」という展覧会は、最近の日本画展の中でも企画力において素晴らしかったと思う。まさに「ファンタスティック」だ。
展覧会と言えば、有名な作者や作品を目玉にすることが人気に直結する。一方で、テーマを適切に選んで、その世界観を組み立てていくのは難しい。
山種美術館で2年ほど前におこなった「Kawaii(かわいい)日本美術」などは印象的だったが、若冲の「樹花鳥獣図屏風」など大物もやってきた。
今回の展覧会は、そうした大物がいるわけでなはいが、中身は濃いし、発見がある。いい意味で、「勉強する」にも適しているし、楽しみもある。
前後期で全点入れ替えで、前期のチケット半券を持参すると半額になるというので、とっておいて再訪した。図録も買ったが、それも含めて自分にとっては珍しい。
日本絵画の様相をつかむのに重宝すると思ったし、読み物としての水準が高いと感じたのだ。それは館内の解説で感じた。作品の説明だけではなく、見るものに静かな「問い」を発しているのである。
図録の内容に沿って、展覧会を振り返ってみよう。 >> まさにファンタスティック!府中市美術館の企画力の続きを読む
2016年4月16日 19:00 サントリーホール
シェーンベルク:6つのピアノの小品 op.19
シューマン:アレグロ ロ短調 op.8/幻想曲 ハ長調 op.17
ショパン :舟歌 嬰ヘ長調 op.60/2つのノクターン op.55/子守歌 op.57 /ポロネ
ーズ第6番 変イ長調 op.53 「英雄」
【以下アンコール】
ショパン:エチュード op.10-12 「革命」/スケルツォ 第3番嬰ハ短調 op.39/ノクタ
-ン 変ニ長調 op.27-2
================================================================================
会場に着くと案内が配られており、曲目の変更があるという。川崎でシューマンをキャンセルしてドビュッシーにしたというので一瞬ドキリとしたが、ブーレーズの追悼としてシェーンベルクを演奏するということだった。
19時を過ぎる。ポリーニはなかなか出て来なかったりすることもあり緊張が高まるが、5分ほどで登場してシェーンベルクから。
一貫した印象だけれど、ピアノの音が柔和に感じられる。調律を含めた音作りの志向かもしれないが、「彫像のような」と評されたイメージとは異なる。もっともそうした言葉の選び方自体、批評としては安易だったのだろうと今になっては思う。
もっとも楽しみにしていたシューマンだったが、川崎での変更もややわかる気がした。どこか緊張が残っていて、硬い。これだけのキャリアでも、そうした緊張感が持続していることも驚異だが、2楽章までは聴きながらもどこかしっくりこない感じもあった。
ところがフィナーレになって、紡ぎだされた響きの美しさは優しく濃やかだった。行ったこともないのに「天国的」という表現をする人がいるけれど、その気持ちもわからなくはない。
休憩でロビーに出ると、若い女性客同士が「疲れたぁ」と話していた。たしかにポリーニのリサイタルは客も緊張するところがある。 >> 孤高だが孤独でない。幸福なポリーニの夜の続きを読む
ここ何年か「渋谷に福来たる」という落語イベントがある。セルリアンの裏手にある大和田のホールを2つ使ってやるのだが、第一線の噺家が揃う。土日の間に、計8つの公演があって、今回は2度足を運んだ。
2日の夜は、柳家喬太郎、林屋彦いち、春風亭昇太の3人が一席ずつ。このイベントは、冒頭に出演者のトークがある。3人ともかつての「SWA」の仲間だけあって、こなれた感じで、その後に柳家小太郎の「のっぺらぼう」で幕開け。
喬太郎は「寝床」、休憩をはさんで彦いちは「遥かなるたぬきうどん」、昇太は「愛宕山」という流れ。この愛宕山は後半に昇太の創作による続きがあって、結構にぎやかになる。
3日の夜は、柳家三三と、桃月庵白酒の二人会。トークは10分足らずで、すぐに白酒の「風呂敷」から三三の「不孝者」と続く。休憩を挟んで、三三の「元犬」から白酒の「井戸の茶碗」でお開きとなった。
この二人会はとても楽しめたのだが、それぞれが達者なことに加えてバランスがよかったこともある。前半は男女の機微を描いた話だが、白酒が軽く入って、三三はしっとりと。
後半は三三が滑稽に犬を演じて、白酒がテンポよく噺をすすめる。 >> 「喬太郎・彦いち・昇太」と「三三・白酒」を渋谷で。の続きを読む