2000年前後のことだけど、日本にはフランス系の「指導者」が相次いでやって来た。日産に来たカルロス・ゴーン、サッカー日本代表のトルシエ辺りは一般的にもよく知られているが、N響の音楽監督のシャルル・デュトワもそうだ。
みな信念のしっかりしたリーダーだ。ただしいまでも君臨しているのは、ゴーンくらいで、N響は後任にアシュケナージを選んだ。
別に指揮者としてすごく変なわけではないし、実績もあるけれど、なんだかガッカリした覚えがある。デュトワの強いリーダーシップに疲れたんじゃなないか?という印象を持った。サッカーの後任も含めて、まあその結果について今さら細かく書くつもりもないが。
いっぽうで、ピアニストとしては、20世紀後半において重要な存在だったと思う。いま聴いてみると、「こう弾くのは、できそうでできないんだよな」と思うことも多い。
最後にピアノを聴いたのは1998年の来日公演で、シューベルトのイ短調ソナタだった。その時に61歳だったが、今年は79歳。そんな齢になっているのか。 >> 正しく、深く、美しい。アシュケナージのモーツアルト。の続きを読む
指揮:アラン・ギルバート
2016年7月24日 14:00
モーツァルト:交響曲第25番 ト短調 K.183(173dB)
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調
さまざまなクラシックの曲の中で、「この一瞬がゾクゾクする」というのは、人によって違うと思うんだけど、自分の中でもっとも好きなところの1つが、マーラーの5番のフィナーレに入るところだろうか。
ホルンの動機からファゴット、そしてクラリネット、やがて弦楽器が厚い音を奏でるまでの独特の解放感がたまらない。
霧の中から、黄金色の光が差してくるような一瞬だ。
ただこの日の解説にも「勝利」という言葉が使われているが、どうもそれには違和感がある。
ベートーヴェンのような凝縮感のあるフィナーレとは対極で、さまざまなモチーフが明滅するように現れてくる。何色もの糸が気ままに放り出されていくようで、気がつくと絶妙に編みあがっていくような構成とオーケストレーションも素晴らしい。
今日も、その一瞬を想像しながらホールに行ったが、驚くほどにいい演奏だった。
この日のギルバートの音作りは、弦を基盤にしてキッチリとアンサンブルを積み重ねていくアプローチだった。大向こうをうならす「爆演系」ではないけれど、気がつくとフィナーレの最後では相当の盛り上がりになっている。
オーケストラの主体性を引き出していく音作りで、長いフレーズでゆったり歌わせる。管楽器の能力をきちんと引き出すから、トランペットやホルンも相当の水準だった。単にうまいのではなく、歌が聴こえてくる。
直前に予定が空いてフラリと行ったのだけど、それでこういう水準の演奏が普通に聴けるというのは、東京の楽壇って層が厚くって質が高いんだなと改めて思った。
一曲目のモーツアルトの集中力で、いい演奏会になりそうな予感があったけど、アラン・ギルバートはニューヨークフィルも円満退任のようだし、都響が定期的に演奏できればなあと妄想する。彼のように、音を積み上げるタイプの指揮者は日本のオーケストラの潜在能力を引き出すと思うのだ。
夏休みでコンサートが少なくなる前の、いい出会いだった。
昨夜、落語会に行った。柳家喬太郎と柳家三三の二人会だった。
前半は三三から喬太郎、後半は逆になる。
三三は枕もそこそこに「締め込み」だが、夫婦のやり取りがスピーディで、言葉の端々までよく練られている。彼の得意な持ちネタだ。
続いて、喬太郎はウルトラマンあたりのネタを長々と話してから「擬宝珠」と言う流れ。これがまた結構変わった話で、彼以外に現在は演じる人はいないのではないだろうか。普通の解説本にはなく、東大落語研究会の「落語事典」にはある。江戸時代安永の頃に原形があるようだ。
中入りを挟んで、喬太郎は新作の「純情日記渋谷篇」で、三三は季節外れの「夢金」と言う流れでお開きだった。
この日もそうだが、喬太郎の舞台がどうも気になる。それは、あまりいい意味ではない。
元々が相当に達者な人だと思う。古典は何をやってもうまいし、圓朝の作品などはたまげたことがある。三鷹の井心亭で聴いた時などは本当に引き込まれた。
一方で、最近の落語会、ことにこうしたホールでは首を捻ることが多い。なぜか妙に力んでいるのか、この日も枕でのウルトラマン話が延々と続くのだが、どこかくどい。落語にしては広いホールだがよく響く杉並なので、時に喧しくなる。噺に入ってからもその傾向は同じだ。
そして、新作なのだけれど、残念なことにこれもまた力で押す感じだった。客席は沸いているが、先は読めるしオチも見える。 >> 柳家喬太郎は迷っているのだろうか。の続きを読む
2016年7月12日 19:00 ヤマハホール
シューベルト:ピアノ・ソナタ第13番 イ長調 Op.120,D664
ショパン:幻想曲 ヘ短調 Op.49/ショパン/夜想曲 第8番 変ニ長調 Op.27-2/ポロネーズ 第6番 変イ長調 「英雄」 Op.53
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ 第3番 イ短調 Op.28
ラフマニノフ:練習曲集 「音の絵」 Op.39より 第1番、第2番、第5番、第7番、第9番
.バラキレフ:東洋風幻想曲 「イスラメイ」
(以下アンコール)
シューマン:子供の情景 Op.15-1 第1曲 見知らぬ国と人々について
フィリペンコ:トッカータ
シューマン:子供の情景 Op.15-7 第7曲 トロイメライ
メンデルスゾーン=リスト=ホロヴィッツ:結婚行進曲と変奏曲
ラフマニノフ:楽興の時 Op.16より 第3番
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単に「うまい」ということはもちろんなんだけれど、全体にゆとりがあって、心地よく聴いていられることが、ガヴリリュクの最大の魅力だと思う。
スーツ姿ででゆったりと構えて、少し神経質そうに眼鏡を拭いて、おもむろに弾き始めるといきなり別世界が広がる。姿は端正で、妙なアクションはないが出てくる音楽は絶品だ。
シューベルトはきれいに歌い、ショパンは多彩な音色を響かせる。
後半のロシア系作品は、激しく情熱的だが、「これでもか!」という嫌味がない。
ダイナミックレンジが相当広いが、演奏効果を狙っているのではなく、とても自然だ。
最後の「イスラメイ」からアンコールになだれ込み、フィリペンコのトッカータ辺りで唖然とさせる一方、シューマンでは客席を魔術にかけたような調べを奏でる。
そして、ガヴリリュクは相当ホロヴィッツを意識している、というか好きなんだろうなと思う。メンデルスゾーンの結婚行進曲と変奏曲は、ホロヴィッツが自ら編曲して十八番にしていたが、「イスラメイ」も録音が残っている。
また、アンコールにトロイメライをスッと挟み込むのも、ホロヴィッツの得意技だった。ユジャ・ワンやランランも、ホロヴィッツ編曲の作品をアンコールで弾いているが、この世代は本当にホロヴィッツの影響を強く感じる。
ホロヴィッツの呪縛は相当強く、彼を目指して破綻したピアニストは多いという。そして、死後四半世紀が経って、「曾爺さん」の遺産を軽々と弾くようになった。スポーツ記録のように数字に表れるわけではないが、ピアニストのスキルはもの凄く上がっているように感じるし、ガヴリリュクのような演奏を聴けることが本当に幸せで、来日したら、次もぜひ行きたいピアニストだ。
もう、うまいのは当たり前。彼のピアノを聴くと、幸福な気持ちになれるから。
暑い週末だった。不在者投票を済ませて、そのまま自宅に籠って仕事などをしていたが、さて音楽を聞こうと思っても、すべてが暑苦しく感じる。
とはいえ、バロックの「リコーダーアンサンブル」とか聞いても、「夏バテには素麺」みたいで、これはこれで虚弱になるような気がする。
そもそも弦やボーカルも暑苦しいので、行き着く先はピアノ辺りだろうか。そうなると、軽くてきれいな「無言歌集」は、ちょうどいい。
メンデルスゾーンの傑作で、自ら弾いた人も多いかもしれない。ただ、全曲集のディスクはあまりない。第8集まであってそれぞれが6曲だから、全部で48曲になる。本を読んだり、仕事をしながら聞くことが多いけれど、ふとページをめくる手を止める時が幾度とある。
第5集の3曲目は「葬送行進曲」だが、これは有名な「結婚行進曲」を反転させたようになっている。「タタタターン」といういわゆる「運命動機」だ。マーラーの交響曲5番を聞いて、「結婚行進曲のマイナー版」と感じる人が多いようだが、既にメンデルスゾーン自身が書いていて、マーラーはここを参照したように感じる。そして、3曲先には、有名な「春の歌」となる。
個人的に好きなのは、第2集の3曲目の「慰め」かな。とある教会の礼拝前に、オルガンで奏されていた。「讃美歌30番」としても知られているが、ピアノの素っ気なさがかえってしみじみとした抒情を感じさせる。
バレンボイムは、こうした小品を弾く時のセンスがとてもいい。ちょっと突き放したくらいの演奏だから、全曲を聴いてもまったく飽きが来ない。
スマートフォンにダウンロードしたり、クルマで聞いたりと、身近に携えていたい曲集だと思う。
もちろん、暑い日じゃなくても、十分に楽しめるし。