浅田真央の引退のニュースには驚いた。いや、引退したという事実ではない。「まあ、そうだろうな」という感じだ。驚いたのは、ニュース量の多さだ。

発表の翌日、NHKニュースは朝昼夜とトップだった。別に何か新しいことがあるわけでもなく、いろいろな人の声を伝えている。しかも泣き始める人もいるので、失礼だけど、これはまるで逝去のニュースのようだと思った。

もちろん、民放も引退関連一色だったようだ。

おそらく、テレビ局にとっては「重要」だったのだろう。そして、その重要さというのは地上波のお得意様の関心を引くかどうかということになる。そして、お得意様はお年寄りだ。

以前からわかっていたことだけど、テレビの高齢者シフトはここに来て一段と進んで、しかもニュースが相当に偏るようになった。最近だと、「小池・森友・真央」でしばらく回るんじゃないだろうか。

僕は自宅で仕事をしているし、昼間の時間は相当に自由に動いている。家で昼飯を作って食べることもあるし、スポーツジムへ行くこともある。ジムにいるのは、高齢者ばかりで、ロッカールームの会話を聞いていると面白い。

「あいつも頑張ってる」というから誰かと思ったら、「小池の娘が」とか言ってた。まあそれなりの歳の仲居さんに「お姉さん」と言うこともあるんだから、都知事を娘と言ってもいいだろう。多分昨年は、舛添氏の買い物内容を熟知していたに違いない。

もちろん籠池一家は人気者だ。浅田真央に至っては言うまでもない。

そしてエアロバイクに座って、とりあえずモニターをつける。昼の番組は、ロッカールームの話題そのものだ。興味もないので音を消したままにしておいて、とりあえずkindleをオンにする。だいたいそんな感じだ。 >> 「小池・森友・真央」でテレビは回るけど。の続きを読む



晴れた週末に、川崎駅の「ラゾーナ」に行った。午後のコンサートが目的だったのだけれど、早めについて何となく歩いていた。まあ、気に入ったカジュアルウェアくらいなら、買ってもいいかなというくらいだ。

しばらくして気づいたんだけど、なんとなく客が楽しそうだ。若い人どうし、あるは小さな子供を連れた親子連れが多い。おもしろいもので、いろいろな場所には「笑顔総量」みたいなものがある。3月のラゾーナは、結構多いんじゃないだろうか。

買い物や食事に出かけてきたんだから、そりゃ楽しいだろうと考えそうだけど、そうとも限らない。こういうモールやアウトレットは、全体に楽しげだ。

そして、買い物客がいてもあまり笑顔のないところがある。最近だと百貨店がそんな感じだ。

考えてみると、自分自身が百貨店に行かなくなっている。服を買う時は、アウトレットかネット、あるいは以前から知っている路面店。今回気になったので、改めて百貨店に足を運んでみたけれど、やっぱり笑顔総量は少ない。

なんというか、客がつまらなそうなのだ。

眺めながらどうしてだろう?と考えてみた。 >> 百貨店の客って、楽しそうに見えない気がする。の続きを読む



先週の木曜日に、国立新美術館の「ミュシャ展」に行った。噂の「スラブ叙事詩」は、あのスケールに浸るという楽しみはあるけれど、個々の絵を見ると「ダヴィッドのスラブ版」という感じもする。別に貶してるわけでもないが、褒めてるわけでもない。

会場に着いたら、チケット売り場には列ができていた。twitterでそんなことが書いてあったので、チケットは移動中にタブレットで買った。しかし、どうして美術館のチケットを買うのに、自宅住所を入れるのか。まあ、それは本題じゃない。

中に入って驚いたのは、結構な列ができてたことだ。ウワ!と思ったら、ミュシャではなくて、草間彌生だった。と思ったら、会場の入り口は空いている。この列は、草間彌生の「グッズ」を買う人が、レジに向かって作っている列なのだ。

待ち時間、40分。週末はもっとすごいことになったようだ。

前衛の旗手と言われた彼女の集大成ともいわれた今回の展覧会だが、人々が列をなすのは工業製品を買い求めるためだ。違和感、というには安直でなんとも不思議な気分だ。 >> モノはいらない、「証拠」は欲しい。の続きを読む



ひと口に「酒好き」と言っても、飲み方は人それぞれだ。外では相当飲むのに、自宅ではほとんど飲まないという人もいる。また、一人でバーや酒場には行かないというタイプもいる。

僕は家でも飲むし、外で一人飲みもする。ただし、大人数の会合にはあまり行かないし、行っても酒は飲まないことも多い。立食パーティなど、懇親が目的で好きな酒を選べないなら烏龍茶で十分だ。

最寄駅から自宅まではさほど遠くないのに、やたらと落とし穴が多くて、一人で店に入ったりすることも多いのだけれど、最近その機会が減った。理由は単純で「ちょっといいグラス」を買ったからだ。

もともと氷だけで飲むことが多く、オールドファッションドのいわゆる「ロックグラス」は幾つか好きなのを持っていたのだが、ソーダ割りなどを飲むときは適当なもので間に合わせていた。で、少し前にちょっといいグラスを買ったのだけれど、この重みがちょうどいい。それほど高くないウィスキーをソーダで割っても、なんか「いい感じ」なのだ。

で、どうなったかというと駅から直帰することが増えた。着替えて、好きな酒をゆっくり飲む。 >> いいグラスとスピーカーのせいで、バーに行かなくなった。の続きを読む



先週、春風亭昇太の独演会に行った。久しぶりの「オヤジの王国」をいう新作を演じていて、仕事に疲れた父が自宅に帰ってくるシーンがある。

妻は「会合」と称して出かけてしまい、やっと帰ってきた娘はロクに挨拶もしないので父が咎めると、思い切り逆襲される。

「私だってバイト大変なのよ!恵方巻100本売らなきゃいけないんだし!」

会場は大爆笑。あとで昇太が言うには、アドリブネタだったらしいけど、当日のNHKが「恵方巻で悲鳴 過酷な販売ノルマに苦しむ実態」というニュースをやっていたのを拾ったらしい。

まあ、そんな具合に昇太が達者なのはいいんだけど恵方巻も商いとしては限界に来てるんだと思う。そして、それっていわゆる「プロモーション」の限界なんだろうなと思う。

「プロモーション」というと、相当に範囲は広い。ただ、おおざっぱにいうと「気づかせる」段階と、「恒例化」する段階があるだろう。

恵方巻という一部の習慣を、広めようという「気づかせる」段階では、たしかにいい着眼点だった。

まず、これといった「売り物」がない時期だけど、「豆」を買おうという人は多いからコンビニやスーパーには行く。節分は行事としては生きているんだから、そこに「新習慣」を持ち込むのは発想としては十分ある。しかも、海苔巻きだからすでに製造ルートはある。

僕はこの習慣のないエリアで生まれ育ったので、買おうとは思ったことはないけれど、企画自体はよくできていたと思う。 >> 恵方巻が映し出す「プロモーション」の限界。の続きを読む