(2014年2月12日)

カテゴリ:メディアとか

だからと言って、そんな話はないだろう。

最近ウェブを見ていると、そういう気持ちになることが多い。何だか、ネットを見ること自体が億劫になる。

理由は単純で、都知事選からオリンピックという流れだよ、多分。「思い入れの強い」人の声ばかりが増幅されているように感じる。その間にあった「別人作曲」の件もそうだ。

たとえば、選挙。都知事選に限らず、最近の選挙の終盤には同じ傾向がある。それは優位とされている人や政党を貶めるような情報がダーッと溢れてくることだ。中には特に信用できるようなものでなかったりするものも多い。
これって結局は昔の「紙爆弾」と同じで、選挙終盤に激戦区で投函される「怪文書」に近い。ネットになっても、程度は同じ。というかこじれちゃった気もする。

いや、支持者の人には思い入れがあるのだろう。でも、風邪と思い入れはこじらせるとタチが悪い。そういうのを読むと、何だかいたたまれなくて、妙な毒に当った気がする。

そしてオリンピック。ネットでいろいろな声はあるけれど、こんなところで「税金」の話が出るんだなあ、と。

>> 知事選と五輪とネットの毒と。の続きを読む



NHKの「妄想ニホン料理」を見ていると、テレビがつまらないというのは企画力の問題に尽きるんだなぁ。と思う。

この番組は、色々な国の料理人に日本の料理を作ってもらうのだが、その際に簡単なヒントだけを与える。先日オンエアした「親子丼」だと、「素材が親子」「ご飯にのせる」「トロトロ」とか3つのヒントで、後は各国の料理人が妄想する。

「親子」1つとっても、野菜だったりまたはトンデモない動物だったりかなり面白い。一方で、料理のロジックというものがよくわかる。「どうやったら」おいしくなるのかは各国で違うようでいて、共通するものがある。

たとえば「大学いも」では「黄金に光り輝く」というヒントなのだが、ここからの発想が結構似ていたりもするのだ。

笑えるし、深い。

そして、思ったのが「テレビならでは」というか、ちょっとネットでは難しいかな、ということ。どちらかというと、niftyの「デイリーポータルZ」とかにはできそうな企画だけれど、作るプロセスとかはやはりテレビ向きだ。(ちなみに国内取材の回もあったらしいし、ネットでもできない企画ではないけど)

まあ、「ネットに押されて」というのは、うまくいってないメディアの言い訳なんだよな~と改めて感じたりする。

ただ、やっぱりネットの影響力は強い。その強さを見過ごして失敗したケースが、「アイアンシェフ」(かつての「料理の鉄人」)だと思う。

>> 「妄想ニホン料理」で考えたテレビの話。の続きを読む



219-meet.png近所にある肉屋が、潔い。肉屋が潔いというのも変な話だけど、最近の食品偽装問題を聞いてると、そう感じる。
この店で牛肉を買おうとすると、どうなるか。
安い順に「牛上肉\470」「牛最上肉\520」で、次が何と「牛肉\630」なのだ。\730の牛モモ肉、牛肩ロースと続いて「特選牛肉\840」となっていく。
「牛肉」が「最上肉」より安いのも謎だけれど、産地など一切書かれていない。というわけで、その時の懐具合や料理に応じて相談しながら何となく決める。
牛は牛、豚は豚、鶏は鶏。
昔は、と言っても20年くらい前はこれが普通だった。基本的には「牛肉」という「普通名詞」の食品を食べていたのである。その頃、固有名詞を持っていたのは、神戸、松坂、近江くらいだった。
魚もそうだ。「関鯵」「関鯖」あたりから、固有名詞化してきたと思う。
「固有名詞化」というのは、「ブランド化」に他ならない。ブランド論というと、いろいろややこしいことを言う人もいるが、結局は「固有名詞」を認知してもらえないと、価値構造も何もあったものではない。
会社員時代に「ブランド本」というムックを編集したのが15年前で、その後ブランドコンサルティングの立ち上げにも関わった。ブランド論議は大体わかっているつもりだが、この間に起きたことは、「固有名詞の認知競争」があらゆる領域に広がったということだ。

>> 「固有名詞」を食べてきた日本人。の続きを読む



212-nikkei.png
また、偽装だ。また、というより久方の偽装ニュースという感じだ。
いつ頃だったかな、と思って調べると2007年だった。ミートホープに端を発して、「赤福」「白い恋人」と続いた。
やっぱり、というか今年が2007年に似ているということを書いたけれど、こんなところまで似ているとは、とちょっと驚く。
以前も出した写真だが、今年の5月の日経を電子版で読んだ後に、たまたま出てきた古新聞が酷似していて驚いた。簡単にいうと、ちょっとした”プチバブル”な感じが似ているのである。
「バブルへGO!」という映画も2007年で、アラフォーとかもこの頃から出てきた言葉だ。
いまはプチバブル、というほどでもないがリーマン・ショック以降では一番浮かれているとは思う。じゃあ、なんで偽装が出てくるんだろう?
ここから先は、仮説というより全くの思いつきなので、あまり突っ込まないでほしいのだけど、このプチバブル的な気分と関係があると思うのだ。
今回のホテルのメニューが発覚した経緯はよくわからないのだが、2007年の一連の事件は内部告発だったと言われている。まあ、そうでもなければ出てこない話だ。
「ちょっと景気がよくなったので、調子に乗った」とか「それなのに現場は大変になるばかり」というバランスの崩れが起きて、いろんな不祥事がばれていくのだと思う。

>> 2007年もプチバブルで、偽装の年だった。の続きを読む



大学生など若い人がネットに過度に依存している「情報偏食」の話をすると、必ず疑問が聞かれる。
「じゃあ、マスメディアはバランスがいいんですか?」
これに対しては、「ジャンクフードより定食の方がいい」としかいいようがない。ただ、この定食もかなり癖が強くなっている。新聞も社によって、かなりスタンスが変わる。皆が同じよりはましかもしれないが、何かこう頑固というか極端な感じが強い。
新聞などはさまざまなカテゴリーのニュースを掲載しているという意味では、たしかにバランスのいい定食に見えるが、味つけや盛り付けは、それなりに偏っている。
僕はたまたま妙ないきさつから、高校生の頃からしばらくは家で3紙もとっていたし、その後もメディアに近い仕事していたので、癖は大体わかる。というか、新聞を若いころから読んでそれに対する批判も知っていれば、だいたいバイアスを自分なりに制御するだろう。
「ここの漬物は塩がきついから残す」「この揚げ物は全部食べると重すぎる」とかいうようにで食べる感じだ。
つまり、新聞の記事もすべて読み込むわけではないし、論説を鵜呑みにするわけでもない。
中には極端な味付けが癖になる人もいる。原子力発電関連の記事などが新聞によって極端になるのは、「もっと刺激がほしい」という客が一定数いるからだろう。まあ、その結果どうなるかはともかく。
一方で、ネットで好きな情報ばかり集めるのはジャンクフードみたいなものだ。米国にcomfort foodいう言葉があって「心地よい食べ物」なんだけど、これはホットドックやハンバーガなどを指す。日本だったら、それに加えてラーメンや牛丼だろうか。

>> 「タニタ食堂」としての池上彰。の続きを読む