ネットでの検索や訪問履歴を活用した広告も増えてきて、「アア、あの時の履歴をもとにしてるんだなあ」とわかることがメッキリ増えた。特にネット業界の外にいる人や学生と話していると、実感する。
とあるCDショップもよく出てくるようになった。自分の嗜好をよく知ってるなあと思う。ただ、分析が的確すぎるのか、薦められるディスクはだいたい持ってたりする。がんばれ。
ただ、明らかに「狙われてる」と感じることを、「ああ、なるほど」と流せる人もいるが「気持ち悪い」という人もいる。厄介なのは、この気持ち悪さだ。ビッグデータにおける個人情報の問題は、「守られるかどうかだけでは済まない。僕はその辺りには頓着しないほうだし、データの活用が相当なムダを減らせることもアタマでは理解しているつもりだ。ただ、最近ちょっと「気持ち悪い」経験をした。
時折、というか何かの拍子にYouTubeで猫の動画をみることは多い。その時も、猫の動画を見て和んでいたのだが、いきなり画面下方にこんな広告が出たのだ。
「イオンのペット葬」
猫の動画と「ペット葬」の文字の組み合わせは、相当に強い。猫というコンテンツに合わせたのか、自分の履歴から読んだのかはわからない。いずれにせよ、狙われているのだろうけど、ちょっとそういう問題ではない。
別にターゲティングしなくても「ペット葬」は、プッシュ型の広告にふさわしくないよなあ、と。
>> 猫動画見てたら「イオンのペット葬」がプッシュされたよ。の続きを読む
日清食品の「カレーメシ」のCMなんだけど、表現のインパクトがすごいだけじゃなくて、そもそもTVCMってこういうことだよな~ということを改めて思ったりした。
内容的には昭和的なエッセンスがてんこ盛りで、それは多くの人が感じるだろうし、演出のキレも上手だなあと思う。
ただ僕が思ったのは、そもそも「広告はもっと唐突でいいんだ」ということだった。
どんどん効率化された広告プランは、ターゲットにとって必要な情報だけを届けようとするし、購買可能性の高い人を狙っていく。受け手からみれば、自分の欲求の文脈に沿った広告が届くようになる。
ネットではもちろんそうだし、マス広告も「適切な出稿」をしていく。
そしてクリエイティブも、そのメディアの文脈に沿って制作されていくようになってきたと思う。地上波を見ている時に、そのプログラムのターゲットになったつもりで見てみればすぐわかる。健康を気にする高齢者、家計を預かりつつ自分のダイエットが気になる主婦、ジャニーズが好きな中学生…というように。
そうすると、結構TVCMは有効な情報源となっていることに気づくはずだ。
ただし、自分にとってはなかなかそういう時間やチャンネルはないんだけど、おそらく「そもそもテレビを見ない人」ということになっているのだろう。(この文章を読んでいる人の多くも、そういう風に捉えられているかもしれない)
まあネットほどではないにせよ、テレビCMも相当効率化を突き付けられた結果、メディアとクリエイティブの両面で「最適化」が進んだと思う。
>> 割り込みこそがCMの特権。カレーメシの爆発力の続きを読む
平日のお昼に家で食事をすることは結構多い。たいがい自分で何か簡単なものを作りながら、テレビを見ている。面白いという気もしないけれど、この時間のテレビを見ているのは主婦や高齢者なので、そうした人の嗜好がわかるというのも、自分の仕事をする上で結構発見もある。
「笑っていいとも!」は、リーマン・ショック以降制作費が相当減ったのか、退屈になった。それまでは、クイズのために調査したりとか、結構仕込みのある企画もあったのだけど、それでも持たせていたのはタモリの才覚だったんだろう。
よく見るのは「ヒルナンデス!」で、このターゲットは「自分で検索するのが面倒な人」なんだと思うけど、まあお気楽に見ていたりする。
で、さすがに気になって、先週はフジテレビの「バイキング」を見てみたんだけど、これが想像以上に変なのだ。つまらない、とかいうのを通り越している気がする。
テレビをつけて、食事をしていると「アレ、ところでこの番組何やってるんだ?」とふと気づく。自分がおかしいのかと思って、じっと見ていても一体何がしたいんだか、よくわからないのだ。
テレビを見ていて、こういう気分になったのは初めてである。
今日も見てみたのだが、「南房総の地曳網」とか生中継していた。それはいいんだけど、ワーワー騒いでいるだけで、見ているうちに不安になってしまった。
>> 番組自体が放送事故?フジテレビの”バイキング”の続きを読む
昨年あたりから、高級腕時計が売れているという話を聞く。ほぼ、アベノミクス効果で説明できるようだが、そればかりでもない気がしている。株高による資産効果は主に中高年以上に対してプラスになるわけだが、結構若い人も多いらしい。複数の記事でそんなことを報じている。
「景気回復で若い人も財布のひもが緩んできた」というくらいの分析だけど、そもそもそのおカネってどこにあったんだろ?と思っていた。
で、ふと気づいたことがあったのだ。
最近、20代から30代前半の男性ばかりとメシを食っていたんだけど、かなりいい時計を持っている。昨年買ったというものもいた。
共通点といえば全員正社員で、それなりの所得がある。未婚者も既婚者もいる。そして、都区内在住なんだけど、クルマを持ってない。
どこに腕時計買うカネがあったのか?といいえば、そこに「あった」んだなと。昔なら「クルマを買って維持するカネ」の一部をを時計につぎ込めば買えるのだ。数十万で時計を買えばかなりのモノが買えるかもしれないが、クルマでどうなるかはわざわざ書くまでもないだろう。
で、ここからはちょっと思いつきのこじつけっぽいんだけど、スマートフォンも関係しているように思うのだ。かつて、携帯電話が普及した1990年代後半に、若者が腕時計をしなくなった。その際は「携帯で時刻がわかるから」という説明がされていた。
ただ、単にそれだけではないと思う。自己主張の道具として携帯電話が全盛になったため、時計がその座を奪われようにも思うのだ。さらに昔ならば、会議室に入ると多くの人がまず煙草を取り出して自分の前に置いた。
2月が今週で終わる。そして、なんだか今年の2月は「メディア疲れ」という感じだ。都知事選に大雪、そしてオリンピック。ネットを見ていても、思い入れの強い記事が多いせいか、なんだか疲れる。
雪で自宅にいる時間が長くなるので、接触時間も長かった気がするし。
それにしても、改めて日本は高齢社会になっているんだな、振り返って実感する。
都知事選は高齢者層の票をしっかり集めた舛添氏の圧勝。
雪が降っても、「ああ大変だ」という空気になる。もちろん雪だるまとかネットにも投稿されるんだけど、子供自体の数が少ない。
歳を取るにつれて「雪を歓ぶ」が「雪を嫌がる」になり、やがて「雪を恐れる」になる。「歓雪→嫌雪→恐雪」と、いかん下手なマスコミ造語みたいだけど、それが世の中の空気だ。
猛暑も台風もそう。NHKでも、トップニュースが「気象」ということが増えたと思う。
オリンピックも、そんな感じがする。フィギュアスケートって。全然よくわからないんだけど、テレビのある飲み屋で中高年の男性が見ながら話しているのをみると、「詳しいな~」と思うことが多い。
だからプレイヤーへの視点も「娘を応援する」どころか「孫を応援する」ような感じになっている気がする。