まず、今回の地震でいろいろと心配している人も多いと思います。講義などは予定通りにおこないますが、週末にメディアに接している間に落ち着かない気持ちになった人も多いでしょう。

皆さんは東京近辺で暮らしているわけですが、遠くの地で起こっていることをテレビなどで見るだけでも、心に対する影響はあります。そうした中で、「応援しよう!」と動き出す人もいれば、どうしていいかわからない人もいるでしょう。

でも、こういう時の反応は人によって違うのが当然です。「なにもできない」といって、ことさらに落ち込むことはありません。

青山学院でも応援募金を始めています。無理のない範囲で、参加するのもいいでしょう。

さて、こうした時に学生として大切なことがあります。それは、自分の学んでいることを活かせないか?と考えることです。

この講義はマーケティングやメディアを論じますが、それぞれにおいて、災害で貢献できることもあるのです。「どうすれば、もっとスムーズに助けられるのか?」という姿勢で学ぶことで、将来社会に役立つことができると思いませんか? >> 【講義覚書】災害の時、学生がするべきことは。の続きを読む



東京大学の入学式の総長式辞で「新聞を読もう」と言ったというニュースを見て、ウェブサイトに掲載された式辞を見た。なんか唐突な感じもしたのだが、読んでみると必ずしもそういうわけでもないように感じた。以下””内は引用。

  • まず、この式辞では「新聞を読もう」とは言ってない。“ところで、皆さんは毎日、新聞を読みますか? 新聞よりもインターネットやテレビでニュースに触れることが多いのではないでしょうか。”と問いかけている
  • そして、“ヘッドラインだけでなく、記事の本文もきちんと読む習慣を身に着けるべきです。”と言い、“東京大学ではオンラインで新聞記事や学術情報を検索し閲覧できるサービスを学生の皆さんに提供しています。”と続ける。
  • 新聞を読もう、というよりもニュースの表面をなぞるのではなく、その背景などについてきちんと読み込むということだろう。ネットでも記事が配信されているが、その内容をちゃんと読んでいない人は社会人でも多い。
  • 僕もネットニュース、特にアプリの問題は学生に指摘している。自分の関心が高いもの配信されるような設定だと「情報偏食」が起きる。このことについては、昨年あたりから学生も理解して、特に就活前くらいから気にするようになってきた。
  • ただし新聞はカネがかかる。殊に学生への仕送りが減少を続ける中では、相当大変だし、以前から一人暮らしの学生は新聞をとっている人は少なかった。図書館など大学の施設を利用することを薦める先生は多いし、総長もその辺を意識しているのかもしれない。
  • そして、この式辞はさらにこう続く。“皆さんにさらにおすすめしたいことがあります。それは、海外メディアの報道にも目を通すことです。日本のメディアの報道との違いに注目してみてください。”
  • こうなると、日本で新聞を読む価値はなんなんだろうか?という話になる。紙の新聞をとるよりも、大学のオンラインを最大活用することを薦めているような感じだ。だったら「新聞だけでは何もわからない」と言った方がいいようにも思う。
  • ちなみに、今朝のNHK・BS-1の世界のニュースでは、中国農村の「留守児童」の実態をレポートしていたが、これが英国BBCからの配信。隣国のルポがロンドン経由でニュースになって見ることができる。
  • 一方で日本で報じられる中国人の話は「爆買い」についてのトピックが目立ち、あるいは南沙諸島における軍備関連の話が多い。あるいは経済動向など。たしかに日本のメディアだけを見ていれば、それが新聞でも十分に危うい。
  • 大学でも、学生の情報接触についての危機感が強まっていることは近年の学長式辞でも感じられる。信州大学の山沢清人氏は昨年の入学式で「スマホ漬け」に警告したし、東大教養学部の卒業式の石井洋二郎氏の式辞も「情報の真偽」について語った傑作だったと思う。
  • それに比べると、入学式と卒業式の対象者の違いはあるとはいえ、この東大入学式の式辞は、キレがないし「新聞読もう」と報じられても仕方ないのかなと。京大入学式の式辞も迫力があったし、こうしてネットで全文掲載になると学長の人となりが見えてくる気もする。


カップヌードルのCMがオンエア中止になった。CMそのものにも、またオンエア中止ということにも、いろんな問題が複雑に絡んでいるように思う。

箇条書き的に雑感を

  •  あのCMを見た時は「よくやるなぁ」と思ったけれど、「すごいな」という感じではなかった。王道感はうすく、いかにも「搦め手」からのアプローチだなあと思う。「お騒がせ」の人々をあのように起用すれば、たしかに話題にはなる。
  • カップヌードルは日清食品の看板ブランドだし、広告の歴史にも華がある。今回に限らないけれど、堂々としていればいいようにも思うのだけど、そうもいかない事情があるのだろうか。ただ、日清食品は広告を上手に使いこなす企業だと感じていた。
  • それだけにクレームで止めてしまうのは、いろんな意味で残念、というよりまずいと思う。気に入らない広告に対して、文句をつければ止められるというのが普通にできるのか?という理解が広まる可能性がある。
  • 広告もまた一つの言論活動であり表現だ。べつに法律論を出すことはないだろうが、一度出したものには責任を持ってほしいし、クレームで引っ込めるくらいなら最初からやらなければいいだろう。 >> 一番可哀そうなのは「カップヌードル」だと思う。の続きを読む


高広伯彦氏が、自身のブログでこんなことを書いていた。

「違う」とばかり言ってると得をしないと思うんだ。B2BマーケティングとB2Cマーケティングの確執。

B2BとB2Cの問題に限らず「違う」を強調することの落とし穴を見事に指摘しているように思う。これは「何か新しいこと」に対して、どのような態度をとるべきか?という大切なテーマについての話だと思う。

B2Bのビジネスは、もちろんB2Cと異なる点も多い。それ自体は多くの人がわかるだろう。しかし、それ以上に共通点もあるはずだ。先のブログでも指摘しているように、「相違点だけ見てると、損をする」というのは、どんなビジネスでもあると思う。

たとえば、エリアの問題。国内で転勤すると、やたらと「違い」ばかりを強調する人がいる。ただ、聞いてみるとそういう人の多くは「言いわけ」になってることが多い。「ケンミンSHOW」のネタならともかく、できる人はエリアを超えた共通点に着目する。

これが海外になると、もう言いわけの宝庫となる。「日本とは違う」のは当たり前だし、赴任当初は戸惑うのもわかる。ただし、成果を挙げる人は必ず「人間同士の共通点」を探り当てている。

つまり、ことさらに「違い」が強調される時は、一瞬立ち止まるべきだと思うのだ。
>> マーケターと、「差別化」の自縛。の続きを読む



今年は、年明けから国内のスキャンダル報道が多い。というか、元を辿ると週刊文春が爆走しているということなのかもしれないが。

まあ、第一報のニュースが見るけれど、その先の報道、というか情報番組などは見ない。逮捕で騒ぐのはわかるが、保釈でヘリを飛ばしたり病院に張り付くのは何なんだ。あと、「謝罪」をわざわざ見たりするのも避けている。

なんか、ゴルゴダの丘の群衆に加わるような感覚になるのだ。処刑される人が誰であろうが、構造は似ている。そして、3日後とは言わないが復活する人もいるわけで。あ、そういえば次の日曜はイースターか。

それでも、メディアはしつこく追っていく。特にテレビはあちこちでやるので、それを避けると見る番組がなくなるような時間帯もあって、スイッチを切ることになる。

でも、それは需要があるからなのだろう。みんなが見なくなれば、テレビも変わるかもしれない。

で、その需要っていうのは「溜飲を下げたい」人が生み出していると思う。

「なんだよ、結局不倫じゃ、CMゼロでもしょうがねえだろ」

「事務所独立するって、難しいに決まってんだろ、何年芸能界いるんだよ」

「あんだけ詐称して、よく偉そうなこと言ってたよな」

ちなみに「溜飲」というのは、「不消化のため飲食物が胃にたまって出てくるすっぱい液」ということだ。それが下がるというわけなのだから、「なんかムカムカして不快な状況にある人」が、「溜飲を下げる」番組のターゲットということになる。 >> 「溜飲を下げたい人」とメディアのダメな関係。の続きを読む