知り合いに、あちらこちらと食べ歩き、たいそう詳しい人がいる。それを半ば生業にしているので大したものだと思うのだけど、ちょっと言葉が危ういとことがある。
「あんな店、うまいという奴の気がしれない」
この手の言い回しがやたらと多い。会って間もない人、つまりお互いの好みもわからない人がいる前でもそんなことをいう。
食の好みは、人それぞれだ。とは言え、食べるだけでは満足できずに、評してランク付けまでする人もいる。
そして「ああ、あの店はちょっと苦手だな」といえばいいものを、なぜか客をまで貶めたがる。なんで、そうなるのかはわからない。ただ本人が気づかないうちに、相当友達を減らしているんじゃないだろうか。
何かへの好き嫌いは誰にでもある。ただし、そういう時に「それを好きな人」を攻撃する心理とは何なのだろう?
ポケモンGOのブームで一番面白かったのは、そういう批判をする人を観察できたことだ。 >> ピカチュウは、「文化人もどき」を教えてくれる。の続きを読む
インターネットに関わる人は、新しいテーマを捕まえていくことには熱心だが、後ろを振り返ったり歴史を論じることはあまりないように感じる。そもそも、歴史自体が浅いということもあるが、「昔話」自体がどこかタブーとされる空気感もあるのだろうか。
一般化されてもう20年を過ぎたし、その流れを1人のユーザーとして見ていると、大きなうねりがあるんだなと思う。
最近気になるのが、ネットで花開いた(かのように見えた)「テキスト」文化がどうなるのか?ということだ。テキスト、つまり文章を綴り、それを味わうということはネットの黎明期にはもっとも当たり前のことだった。
というより、技術的な制約があって、テキストくらいしか楽しみようがなかった。通信速度は遅く、コストは高い。「テレホーダイ」とかいう不便なサービスが通用していたのだ。
そして、みんなが文章を書くようになった。これは、結構画期的なことだったと思う。
というのも、僕が若い頃、というかその前からずっと「最近の人は文を書かない」と言われてきたのだ。「なんでも電話で済ます」というわけで、私的に手紙などをやり取りするのはとうの昔に「趣味人」の領域になっていた。
まずはメールが広まった。最初は社内連絡が中心だったが、やがて携帯メールも普及する。掲示板は賑わって、さまざまなコピペも生まれる。いわゆる「テキスト系サイト」も増えた。 >> ネットの「テキスト文化」は衰退してしまうのか?の続きを読む
昨日の朝から、家にあるパソコンでも「ウィンドウズ10 」へのアップグレード騒動が起きている。
3台あるパソコンのうち、8.1のを使用していた僕のラップトップは結構前にアップグレードした。十分快適なので、自宅にある残りの2台も10にしようかと思ったのだが、それは難しい。
2つとも、メーカーによれば「動作確認対象外」の機種だ。というわけで、アップグレードを見送ろうと思ったのが、例によってわかりにくいガイダンスのために家族が使っているマシンがアップグレードを始めかけて、さっき収拾した。
もう、時間もムダだしストレスだし。日本のメディアでも「わかりにくい」と記事になっていたが、BBC配信でも「汚いトリック(nasty trick)」と書かれていた。
そして、つくづく思うのだけどマイクロソフトという会社はセールスは上手でも、マーケティングは空っぽだ。
マーケティングを「売る仕組み」と定義すれば、このアップグレードだってマーケティングだろう。
しかし、それは表面的なことだ。僕が考えるマーケティングとセールスの違いはもっと単純だ。 >> マイクロソフトって、セールスは上手でもマーケティングは空っぽ。の続きを読む
「笑点」という番組は不思議なもので、中学生の頃までは家で見ていて面白いと思ってた記憶がある。ところが、実家を離れると見なくなり、ある日に大喜利を見たら全然笑えなかった。
というわけで、その後見る機会もなかったのだが、今回は久しぶりに見てしまった。妻ともども落語好きなので、寄席や落語会には結構足を運ぶわけで、新司会者はさすがに気になる。
メディアでは4月30日「歌丸引退」報道から、ああだこうだと書きたてていた。外部招聘か内部昇格か、とかもう大企業の人事そのもので、落ち着いたところは「最年少役員抜擢」ということになる。
これで、数年後に歌丸が「何も新しいことをしていない」と言って、クビにしようとして返り討ちにあえば、まるでどこぞの大企業のようじゃないか。
というわけで、いま報道を振り返るとタモリやたけしの名を挙げて「芸能界は大騒ぎ」とか書かれているものもあって、可笑しくなる。
だって冷静に考えると今回の騒動はきちんとシナリオが描かれていたはずだ。人気者のスケジュールをおさえるのは相当大変だ。発表から3週間の間に人選できるわけがない。 >> 笑点の人事をクソ真面目に論じてみる。の続きを読む
熊本地震以降、しばらくの間facebookを見る機会が相当減った。
地震とそれを巡る様々な情報や意見が飛び交い、そのソースの真偽が怪しかったり、主張される話が非論理的だったりすることも多くて疲れたのが理由だった。
いまに始まった話ではないけれど、facebookは若年層ユーザーが少ないと言われている。最近の記事でも、年代別ユーザーの数が明記されていないためにそんな憶測を生んだ。僕の周りでは、学生からリタイアした層まで多くの方が「ともだち」になっているけれど、若年層の投稿はそもそも少ない。大学で毎年行っているアンケートでも同様で、ほとんどの人がIDを持っているものの、週に一度覗いてみる程度という層が圧倒的に多い。
仲間内でLINE、有名人をフォローするのはtwitter、写真を撮ったらinstgramというのがフツーの流れだと思う。
今回の地震など、社会的に大きな事件が起きるたびに感じるのは、facebookが「政治化しているな」ということだ。
ここでいう「政治」とは、2つの意味がある。 >> 「政治化」するfacebookと若者。の続きを読む