新聞を巡る課題はとても幅広いテーマだが、人によって見方が全く異なる。
学生などを初め、30代くらいまでは読まない人が多い。一方で、重要な情報源として熱心に読んでいる人ももちろんいるし、「取材して伝える」という基本的機能の潜在力は相当高い。
そうしたリソースをどう活かすか?というのはマーケティング的にも興味ある課題だ。
そうした中で、気になる記事があった。掲載されているのは、読売オンラインの「ヨミドクター」というコーナー。医療関係の読み物が集まっているのだが、その中の「原隆也記者のてんかん記」という連載コラムだ。
この記者の方は転換を患っているのだが、その経緯やいまの状況、あるいは生活の様子や事件への思いなどを綴っている。おなじコーナーには、白血病の記者の闘病記もあって、つまり読売の記者が「個人体験」を記事にしているのだ。
記者による癌などの闘病記には前例もあったが、てんかんは珍しいのではないだろうか。ご本人も書かれているように、人に対して隠してしまうことの多い病でもある。そうした経緯も含めて、いろいろなことが書かれている。とても勇気がいることだし、筆者も会社もよく決断したなと思うが、読むたびにいろいろなことを考えさせられる。
強い主張は、ある意味簡単だ。しかし「考えさせる」記事は少ない。そして、それにこそ大切な価値がある。てんかんは、自動車事故の問題もあり大変にデリケートな面もある。患者が声をあげることも容易ではないし、代弁者も必要だろう。そうした中で、この取り組みは新聞ジャーナリズムの今後のあり方のヒントになると思う。 >> 読売オンラインの「てんかん記」に感じる新聞の可能性。の続きを読む
「させていただきます」という言葉は、結構前からあるようだけど少し前の「国語に関する世論調査」でも取り上げられて、NHKの番組でも敬語講師という方が解説してる。
まあいろいろ見ても肯定的な論調は少ないんだけど、ここ5年くらいで「変じゃないの?という話が増えている。
僕も、基本的には推奨しない。「プレゼンテーションを始めます」で何の問題もないと思うのだ。
ところが、この言葉については遥か昔にとある方がバッサリと斬っている。詩人の大岡信が新潮社の「最新日本語読本」というムックのインタビューでこんな風に話しているのだ。
『慇懃無礼。相手との接触に間を置こう、トラブルを避けようというおよび腰の姿勢が感じられます。』また「したいと思います」についても、次のように言う。
『さらに「思います」を加えるのは、決断を避けているわけで、他人に立ち入られたくない、ナメられたくない、責任をとりたくない心理がそこに働いている』
つまり「させていただきたいと思います」は最悪ということになる。
このインタビューは1992年、つまりほぼ四半世紀前のものだ。言葉に敏感な人は、その頃から気にしていたのだなと思う。
つまり「最近の風潮」というよりも、根の深い話なのだ。
と思っていたら、最近驚いたことがあった。実はこの表現に司馬遼太郎が言及していたのだ。『街道を歩く・24』の「近江の人」という節に、この表現についての言及がある。 >> 「させていただきます」問題とNHK。の続きを読む
クックパッドが内紛だそうだ。創業者が現在の経営陣交代を要求したようで、どうやら多角化に不満を持っているという。
で、ここから先は結構料理をつくる1ユーザーとして書くけれど、そもそもクックパッドで、おいしい料理できるんだろうか。というのも、もうしばらくクックパッドは見ていないのだ。料理レシピを検索するときには「-クックパッド」、つまり「マイナス」をつけることにしている。
クックパッドも、以前は見ていたし参考にしたこともあった。しかし、今の状況はもう収集がつかない。とにかく多すぎる。レシピの質も玉石混淆で、じゃあ絞り込めばいいのだろうが、実際は玉石石石石石混淆くらいの感じで、石を取り除くのが面倒になってしまった。
一応ログアウトしたうえで、グーグルで「カリフラワー」と入力するとウィキペディアより上位にクックパッドが来る。「豚」だとウィキが上だが、「豚肉」ならクックパッドが最上位。
そして、本日現在カリフラワーなら3,753品。ブロッコリーなら44,290品で、豚肉なら152,669品。じゃあ、どうしてくれようというわけで「人気順」で見たければ、会員登録ということになる。
ただし、それでいいレシピにたどり着けるか?というと、そうとも限らないだろう。
ネットでレシピ検索をするようになって、料理のやり方はたしかに変化したと思う。かつては「作りたい料理」が先にあって、それを探した。「酢豚」とか、「カレイの煮つけ」などの料理名から入った。 >> 料理するなら「マイナス・クックパッド」でしょ。の続きを読む
テレビを持たない人が、若年層を中心にジワジワ増えているという話を耳にすることは多いと思う。僕も大学の講義では、毎年メディア接触の状況を尋ねているが、一昨年ほど前から「テレビを持っていない」という学生がチラホラと出てきた。そう答えるのは、1人暮らしである。
で、最近は「将来は買うか?」と訊ねることにしているのだが、面白い傾向がある。だいたい「う~ん」と唸ってしまうのだが、「もし結婚したら?」と言うと、「あ、買いますね」という。
これって、テレビが白物家電になっているようなものかもしれない。1人暮らしだと冷蔵庫はあるけれど、洗濯機はなくてコインランドリーで済ませる人もいるし、調理家電も最低限のものしかなかったりする。
それでも、結婚すればいろいろ揃えるんだろうな~という想像の中で、「テレビ」がその中に入ってくるのだろう。必要な情報を得たり、コンテンツを視聴するなら代用品が十分にある。ただ、家庭の中にはテレビがあるんだろうな、というイメージになるわけだ。
かつては、「黒物」という言い方もあり、テレビやビデオがそう呼ばれたが、最近は聞かない。「白物」か「デジタル」か、という感じだ。テレビの普及率が若年層でジンワリ落ちる一方で、ブルーレイなどはさらに低い。「黒物」と言う領域がなくなっているのだ。 >> 「白物家電」になったテレビ。の続きを読む
昨年12月にこちらでも紹介した「リアル行動ターゲティング」を共著で上梓された横山隆治氏が、ほぼ同時期に出版したのがこちらの一冊だ。知己の著作はその旨を明らかにした上で書くことにしているが、前作と同様にとても重要な本だと思っている。
前作は「リアル行動」という言葉を関してはいるが、「最新ターゲティング実践」のような側面がある、そして、この本は「初の実践的メディアプランニング」の本と言ってもいいだろう。
マーケティングの書籍は多いし、実践的なケースも書かれるようになった。商品やブランド開発、あるいはコンテンツ創造などのケーススタディは多い。アカデミックなものから、読み物まで幅広く存在している。
その一方で、メディアプランニングについて書かれた書籍は、どことなく雲をつかむ感じのものが多い。ちょっと古いが「メディアミックス」という説明があったとする。それぞれのメディアの特徴はあっても、ミックスの仕方はわからない。果物の成分表は明らかだけど、ミックスジュースのつくり方は秘伝のレシピのようになってしまう。
これは、メディアビジネスがアタマだけではどうしようもない、という側面があるからだ。大学生にレポートを書いてもらえばわかるのだが、「広告の企画」というのは人によってはプロ並みのモノもできる。コピーやデザインは、そういうものだ。
でもメディアプランニングは、そういうわけにいかない。すごいアイデアがあっても実現のためには、おカネが関係してくるし、カネがあっても実現できるとは限らないからだ。 >> メディアの効率化は社会のためになる。『新世代デジタルマーケティング』の続きを読む