「笑点」という番組は不思議なもので、中学生の頃までは家で見ていて面白いと思ってた記憶がある。ところが、実家を離れると見なくなり、ある日に大喜利を見たら全然笑えなかった。
というわけで、その後見る機会もなかったのだが、今回は久しぶりに見てしまった。妻ともども落語好きなので、寄席や落語会には結構足を運ぶわけで、新司会者はさすがに気になる。
メディアでは4月30日「歌丸引退」報道から、ああだこうだと書きたてていた。外部招聘か内部昇格か、とかもう大企業の人事そのもので、落ち着いたところは「最年少役員抜擢」ということになる。
これで、数年後に歌丸が「何も新しいことをしていない」と言って、クビにしようとして返り討ちにあえば、まるでどこぞの大企業のようじゃないか。
というわけで、いま報道を振り返るとタモリやたけしの名を挙げて「芸能界は大騒ぎ」とか書かれているものもあって、可笑しくなる。
だって冷静に考えると今回の騒動はきちんとシナリオが描かれていたはずだ。人気者のスケジュールをおさえるのは相当大変だ。発表から3週間の間に人選できるわけがない。 >> 笑点の人事をクソ真面目に論じてみる。の続きを読む
熊本地震以降、しばらくの間facebookを見る機会が相当減った。
地震とそれを巡る様々な情報や意見が飛び交い、そのソースの真偽が怪しかったり、主張される話が非論理的だったりすることも多くて疲れたのが理由だった。
いまに始まった話ではないけれど、facebookは若年層ユーザーが少ないと言われている。最近の記事でも、年代別ユーザーの数が明記されていないためにそんな憶測を生んだ。僕の周りでは、学生からリタイアした層まで多くの方が「ともだち」になっているけれど、若年層の投稿はそもそも少ない。大学で毎年行っているアンケートでも同様で、ほとんどの人がIDを持っているものの、週に一度覗いてみる程度という層が圧倒的に多い。
仲間内でLINE、有名人をフォローするのはtwitter、写真を撮ったらinstgramというのがフツーの流れだと思う。
今回の地震など、社会的に大きな事件が起きるたびに感じるのは、facebookが「政治化しているな」ということだ。
ここでいう「政治」とは、2つの意味がある。 >> 「政治化」するfacebookと若者。の続きを読む
元巨人の野球選手が賭博がらみの疑いで逮捕された。
プロ野球は、今世紀に入ってからの合併騒動あたりから球団経営も変わってきたが、まだどこか変わりきれないところがある。プロ野球は他を圧した興隆期があった。その頃の感覚が抜けてないのは、選手や経営者よりもメディアなんじゃないか。それは独特の言葉にも表れてくる。
2月のキャンプインを「球春」というのは、季語のようだけど、「球界=野球界」というのと同じで、球技はたくさんあっても「球」といえば野球だった。卓球をする若者を球児とは呼ばない。
だから、野球の外にも、そういう言葉が広がっていく。政治家や経営者が任期延長することを「続投」と普通に表現したり、場合によっては「ワンポイントリリーフ」などということもある。 >> 21世紀プロ野球にパラサイトする昭和メディア。の続きを読む
というわけで、まずはCMを見てもらいましょう。
(サントリーBOSSのCM【プレミアム対談編】 タモリがジョーンズと“いいとも風”)
長寿番組だった「笑っていいとも!」の設定で、タモリが「宇宙人」をゲストに迎える設定です。
では、もう1つ。今度はペプシの「桃太郎」です
(ペプシネックス ゼロ『桃太郎「Episode.ZERO」』篇 小栗旬 )
さて、タモリの番組に宇宙人は出てこないし、そもそもトミー・リー・ジョーンズは米国の俳優です。小栗旬は桃太郎じゃないし、そもそも桃太郎はいないし、ペプシとは関係ありません。
嘘と言えばウソです。ただし、こういうCMで「嘘つくな」とクレームが入ってはいないでしょう。CMで効能を偽ったりすれば問題になるし、ケースによっては法令に触れます。その一方で、あらためて考えると、私たちはメディアの中の「嘘」であることをたくさん知っているし、許容してます。でも、子どもの頃は、その辺が曖昧だったはずです。
3歳の頃に男子だったら「戦隊もの」の番組見てたでしょ?女子は?(セーラームーン、という答え)で、男子は戦隊の一員になれると思ってた?そんなことはない? >> 【講義覚書】岡崎体育「Music video」を理屈っぽく解説すると。の続きを読む
昨日(4/24)のNHKスペシャルは「若冲」だった。
上野の展覧会も期間が短く、いつ行けば比較的空いているのかと算段していたくらいなので、この番組が混雑に拍車をかけるのだろうなぁと思いながら見始めたら妙な違和感がある。
ナレーションだ。女優の小松菜奈を起用しているが、どうしても気になる。先に言っておくと、彼女が飛びぬけて下手というわけでもない。ちょっと突き放した覚束ない感じだけれど「ドキュメント72時間」などだったらテーマによっては映えると思う。要するにキャスティングのミスだ。そういう意味では、ちょっと気の毒である。
画家の未知の世界に迫ろうとするあまりか、語りには妙な切迫感がある一方で、時折語尾に不要なアクセントがつく。「超高精細」ということばが「チョウ・高精細」のように聞こえてしまう。
イチゴのソースをパンケーキにかければおいしいかもしれないが、炊き立ての上質な白米にかければどうなるか。殆どの人が、「ちょっと待てよ」と思うだろう。
この場合、ソースに罪はない。調理人が無能だという話になる。 >> Nスぺ「若冲」のナレーションは、”白米にイチゴソース”だった。の続きを読む