今日はメディアとの「つき合い方」について、具体的にケースを見ているわけだけど、さっきの「8.6秒バズーカ」などを見ていると、ネットの情報も相当危ういものが、したり顔で飛び交ってることがわかると思います。
では、テレビはどうか?ということで、これもちょうど昨日のケースなんだけど見ておきましょう。
TBSの番組で、いろんなランキングを分析していているものがあって、僕はたまたま見たんだけど、昨夜は「インスタントラーメン一番食べる町」ということでした。見た人いる?(教室内ではゼロ)。これは総務省の家計調査をもとにして、取材をしているんだけど、インスタントラーメンの1番は「青森市」でした。
ちょっと、理由を考えてみてください…「寒い?」「面倒くさい?」なるほど、番組の取材から出てきたのは「塩味の強いものが好き」「B級グルメが多い」「面倒くさがり」の3つからでは?と言ってました。寒さも関係しているみたいだね。
で、皆さんこのことを聞いてどう思う?青森の人について気になりませんか?
インスタントラーメンだけではないけれど、「塩気を好んで面倒くさがり」って、あまり健康的ではないでしょ。一応番組でも「肥満率が高い」ということは言ってました。
ただし、この番組ではそれ以上は突っ込まない。「青森の人はインスタントラーメン好き」ということで、「ヘェ~」ということで、おしまいです。
さて、では実際に青森の人々の健康状況はどうなのか? >> 「青森はインスタントラーメン好き」とテレビでやっていたけど、その先を考えてみた?【講義覚え書き】の続きを読む
結構ネットなどでは取り上げられたので、知ってる人も多いかもしれないけれど、信州大学の学長が入学式で、スマートフォンについて述べられた。「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」という部分が記事の見出しになったせいで、やや誤解を受ける面もあるのだけれど、全体としてどう話されたのかを確かめておきましょうか。(サイトを読む)
「自らで考えることにじっくり時間をかけること、そして時間的にも心理的にもゆったりとすること」を強調されているわけで、その文脈でスマートフォンに言及したわけだよね。
実際問題として、「スマホをやめろ」と迫ったわけでないでしょう。要は、一つのメディアに頼り切りになるな、ということだと思うし、それは妥当だと思うんだ。
で、ここで、ちょっと別の切り口でスマートフォンについて考えてみたいんだ。
それは端末の「絶対的な大きさ」ということです。実はどんなに科学が進んでも、人間という生物の大きさはそうそう変わりません。もちろん時代によって変化はあるけど。
だから自分の体より大きい動物は犬でも怖いし、逆にチワワなら大丈夫、と思いますよね。
メディアも同じで、結構絶対的な大きさからの影響はあるはずです。新聞は相当大きな紙です。同じサイズのパソコンモニターはそうそう使ってないでしょう。そもそも、他の紙メディアに比べても大きい。そこに、でかい見出しをつければインパクトはあります。
一方で、スマートフォンは掌で片手で使える。もちろん、それが狙いです。ちょっと大きいタブレットになると、もう難しい。電車で経っている時に使えばすぐにわかります。ただ、スマートフォンばかり使っていれば、その画面のサイズですべての情報を処理する癖がつきます。パソコンであれば、チャートや文章を全体的に俯瞰できるけれど、スマートフォンでは難しい。また、デジタルと紙の本でも特徴は違います。僕は小説は電子書籍で読みますが、学術書などは紙の方が使いやすいと思ってる。ハイライトや栞は電子書籍でも可能ですが、ページをガバッとめくっていろいろと参照するには紙の方が使いやすいですね。
だから、なんでもスマートフォンでOKか?ということにちょっと疑問を持ってほしいし、折角だからいろんなメディアを体験しながら、自分なりのスタイルを作っていくのも、これからの学生にとって必要なことだと思います。
僕は紙の新聞をやめて2年以上になりますが、たまに紙の新聞を読むと、妙に暴力的に感じます。見出しなどの絶対サイズが無用に大きいんですよ。手に取って読むのには、全く不合理です。大きさ自体に権威性がある。
一方で掌のスマートフォンからの情報から、そうは感じない。自分の掌に収まるものは「愛おしい」感じがすると思うし、親しい人からのメッセージであればそれも強まるでしょう。そういう意味で、あの小さな端末は、持ち主だけで完結する小さな世界です。
ただし、大学時代に大切なのは、先の言葉にもあったように「考えることにじっくりと時間をかける」ということでしょう。だとすれば、その際には何が必要で何が不要か。
自分にとって目を向ける世界はどこにあるか、この先はそれこそ自分たちで考えてみてください。(2015年4月7日青山学院大学の講義より)
というわけで、今日は電波メディア、特にテレビの現況と課題について経営的な視点から見てきました。
売上に差があっても制作費の削減には限界があるので、局ごとに営業利益はバラツキが相当あるし、きーきょくでも単独決算では赤字の年があったりするわけです。一方で、世帯視聴率の動向を見ると、テレビ朝日(EX)が相当上位争いをしているというのは、知っている人も多かったようだね。NTVと相当競ってます。
2014年度で見ると、プライムは0.1ポイントで1位。全体的には「二強」になりつつある感じです。
じゃあテレ朝は凄く伸びてるのか?というと実はそういうわけではない。2004年の年間視聴率と2014年を比べれば一目瞭然。これはゴールデンの比較だけど、テレビの視聴率自体がギュッと縮こまってる。その中で、テレ朝だけが維持してるということなんです。でも実は0.1ポイント低下してるんですね。他の時間帯でも同様の傾向。 >> テレビ朝日の視聴率は「伸びた」のではない?【講義覚え書き】の続きを読む
kindleのpaperwhiteは日本版が出てすぐに買った。2012年の12月。クリスマス前の時期に海外休暇に行った時に持っていった。プールの両隣りにいた西洋人が、二人ともkindleを持っていたのが印象的。ただ、その後日本では思ったよりは広がってない気がする。
kindleは何と言っても軽い。旅にはもってこいだ。何冊あってもあの重量なのだから。あと、僕が重宝しているのはスポーツクラブ。数十分エアロバイクで汗を流す時間が、読書になる。
ipad miniでも読めるが、paper whiteの方が疲れない。ただしコミックはipadで読む。kindleでどうにかしてほしいのは図表だ。解像度がひどいままのものも結構ある。
でも、最近は紙との使い分けがハッキリしてきた。小説など直線的に読むものは、電子書籍でも全く問題を感じない。
検索機能も便利だ。夜に酒飲みながらミステリー読んでて、翌日になって「誰だよ、こいつ」みたいなことになっても、ちゃんと探せる。北欧系のややこしい名前でも、OKだ。
ただ、使ってみて初めて気づいたのだけど、紙のように「バサッ」と何十頁もめくることができないのが困るのだ。 >> 紙の本の「バサッ」とめくれるのって、やっぱり大切だった。の続きを読む
広告会社にいた頃、新卒採用の面接をしている時に最も多い志望理由の一つが、
「人を動かす仕事がしたい!」というものだった。
「ウ~ン、たまには“人に動かされたい!”って学生来ませんかね~」
「オオォ!そりゃ、即採用だよ」
何て会話をした記憶もある。そう、「人を動かしたい願望」があって、マーケティングやメディアに関心を持つ人は多いのだ。実際は、そうとう「動かされる」毎日なんだけどね。
本田哲也、田端信太郎両氏の共著「広告やメディアで人を動かそうとするのは、もうあきらめなさい」を読んで、ふとそんなことを思い出した。この本は、夏休みに入る前にkindleでダウンロードしていたのだけど、帰宅したら著者からご恵送いただいていた。ありがとうございました。
で、「人を動かす」というと、カーネギーの有名な著作がある。この本はマネジメントについて語っているので、どちらかというと「目の前にいる人を動かす」話が多い。
一方で「メディアを通じて」人を動かす時の作法は当然異なってくる。今までの広告会社が「人を動かす」をいう時は、企業がマスメディアを通じて行う活動が殆どだった。
その場合、「誰が言っているか」というと、まあ当たり前のように「企業」である。だから、それを前提にして「何を言うか」を必死に考えてきた。それが、いわゆる「コンセプトメイキング」であり、コピーだ。
ところが、ネット上の「情報爆発」が起きてくると、「何を言うか」の差別化が難しくなる。そうなると「誰が言っているか」が、関心の的になってきた。それは、有名人かもしれないし、匿名の誰かかもしれない。山ほどあるダイエット法などを振り返れば、よくわかる。
言っている内容は「食生活」か「運動」の改善しかない。ただし、「誰が言っているか」によって相当影響は変わってくる。
人は、他者の影響を受ける。それは「目の前の人」かもしれないし、「メディアの向こうにいる企業」かもしれない。ところが、当然その間には無数の他者がいて、それぞれが微妙に「知ってる人」だったり「知らない人」だったりする。 >> 「人を動かしたい」について改めて考えてみた。の続きを読む