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ラグビーのワールドカップが終わった。自分の身近でも結構盛り上がっていたが、想像以上に経験者も含めてラグビー好きが多いのだなと感じる。

このチームの素晴らしさについては、多くの人が語っているので特に言葉を重ねようとは思わないけれど、気になったのは「日本代表に外国人が多いことへの批判」という話だった。

というのも、ネット上でもリアルでも自分の身の回りに批判的には人はいなかったからだ。

でも、どうしてそう思ったかというとSNSなどでラグビー好きが、こんなコメントをしているのを何度も見たからだ。

「外国人ばかりと批判もあるようですが」「外国人ばかりで、という声も聞きますが」

では、どこにそんな声があるのかが疑問だったのだ。

まず目立つのは、2chなどだ。そういう趣旨のスレッドがそれなりに賑わっている。そのソースは何かと見ていくと、日刊ゲンダイの『W杯2勝でも拭えないラグビー日本「外国人ばかり」の違和感を』題材にしているようだ。

これは、僕の探し方が足りないのかもしれないが、実名で外国人選手が多いことを批判している記事は見当たらない。「一部の批判」などと書いているが、その正体はわからない。

つまり「批判」というのは、ネット上で匿名で流されるもの。あるいは実名であっても、たまたま自分の周囲には見当たりにくかったということだろう。

>> 「ラグビーは外国人ばかり」と批判していたのは誰だったのか?の続きを読む



自分の言葉に自信を持つのは難しいが、謙虚であり続けることはさらに難しいようだ。

結構前の話だが、とある若い社員が「絶対」という言葉は使わないようにしていると言ってた。

「そうか、それはいいことかもね」

「ハイ。絶対に言いません」

というわけで、言葉というのはいろいろと難しいが、なんでそんなこと思ったかというと、facebookが結構高齢化していて、若い人が離れているというニュースをちらちら見るからだ。(結局このニュースにあった「よくないね」は見送られるようだが)

これは実感としてもわかる。学生を対象に接触メディアと頻度を毎年尋ねているが、facebookのアカウントは持っていても、自らエントリーすることは全くないという学生も多い。数年前のmixiの状況になっている気もする。

レポートなどでメディアプランを考えてもらうと、今年からinstagramが急増している感じだ。学生だけではなく、20~30代でもアクティブユーザーは減少している気がしている。

さっきの記事にもあったが、facebook上ではニュースのシェアがたしかに増えている。妙な占いや、「いい話」は、まあいろいろと理由もあり減った気もするが、その代わりストレートなニュースが目につく。

それも「動物が駅長を務めてます」、とかではなくて政治が絡むものが増える。こうなると、中高年の独壇場になる。

なかには、特定のニュースに執着して、出所の怪しいものまでやたらシェアする人がいる。STAP細胞の時に気になったが、同じ人が五輪エンブレムで大活躍していた。 >> 若者のフェイスブック離脱は、中高年の「断言」が理由なのかな?の続きを読む



いまさら、という感じの話題ではあるけれど、テレビの「日本礼賛番組」というのは、どういう人が見ているのだろうか。とりわけ気になるのが外国人が「ニッポン・すごい」という手のものだ。

テレビだけじゃなくて、書籍にも目立つしネットでも多い。ただい、自分の身の回りではそうした話題になることは少ないし、そういうコンテンツを好きな人もあまりいない。

この間、友人と話していてふと思ったんだけど、どうやら「外国人“全般”にどう思われるか」ということには、興味がない人が多い。

一方で、仕事の中では外国人と接している人が多い。自社の取引先だったり、職場の上司や仲間だったり、あるいは製品のユーザーだったりと濃淡はさまざまだが、日常的に外国人とつき合いがあるわけだ。仕事ではなくても、外国人の友人がいる人も多い。

だから、「外国人が日本をどう見ているか」という一般的な話よりも、「目の前にいる外国人が自分をどう見てるか」ということがよっぽど大事なんじゃないか?という話になった。

まぁ、そりゃそうだ。

お客様であれば、「お買い上げいただけるか」が大切だ。職場であればいかにスムーズに協働できるか、ということになる。友人であれば楽しく付き合いたい。仕事からスタートして、プライベートで仲良くなれば、ずっといい関係を維持したいと思うだろう。 >> 「日本礼賛番組」って、誰が好きなんだろう?の続きを読む



まあ、安保法案や新国立競技場やギリシャ問題やら、そりゃたしかに「賛否」を問う話は多いんだけど、それにしても最近のネットニュースの見出しは、やたらと「賛否」が多いと思うわけ。

たとえば、こんな感じ。

「父の日イベント中止? 理由に賛否」これは、家庭の事情でお父さんがいないこともあるから。まあ、これは賛否あるだろうな。

「『ドッジボールは暴力』に賛否」まあ、これもわかる。

いずれも、それなりに社会の話だ。

でも、この「賛否」というのもtwitterあたりの声をザクザクと拾って、つぎはぎしてるだけだったりする。そして、賛否はそれだけじゃない。

「女の子の頭をなでるゲームCMに賛否両論」これはゲームの話。

「やりすぎ? とんねるずに賛否」これはテレビの話。

そもそも、テレビやゲームは別に見なくてもプレイしなくてもいいようなもので、賛否を問うもんじゃないだろ、と。そして、ついにこんな見出しが。

「熊切あさ美の『別れていない』にネットでは賛否」

もう、何が賛否なんだか。賛辞の方が文は通じる。まあ、実際は惨事のようだけど。

法案や政策など、それによって自分たちの生活が大きく影響されるなら「賛否」というのも普通だ。学校の行事も、決められちゃえば逃げられないので議論にはなる。

でも、タレントのやったことやコンテンツというのは、別に関係ない人にとっては、相当どうでもいい。じゃあ、なんで「賛否」とかつけたがるのか。

単純に言って、ついつい見出しのクリックが増えるのかもしれない。ただ、それ以上の意味合いが、この「賛否」という言葉にはある。それは「これは皆が気にしているんだよ」という記号として、機能しているのだ。

マスメディア研究で「議題設定(agenda setting)」という機能がある。つまり、世の中の人が「これが重要だ」と思うのは、マスメディアによって影響されるという話だ。

ネットの時代になっても数をとろうとすれば、「これが重要だ」ということをアピールすればいい。

そして、賛否がわかれることに自分の意見を言えることが賢い、と錯覚しちゃう人がいれば、まだこういう見出しは続くのかもしれない。

でも、それの行く末が「熊切あさ美」であれば、あまり賢そうだとは思えない。

それにしても、そうやって話題つくって煽ることやってたらマスメディアと同じだし、ネットメディアならではの価値はどうなるんだ?とかいうことは、多分考えられていないんだろう。

そこで「賛否」が問われた形跡は、見当たらないんだけど。でも、そのうち出るかしら。

「ニュース見出しの『賛否』に賛否」とか。

 



大阪都構想が住民投票により僅差で否決された。

翌朝にあると、facebookなどでは驚くほどいろんな声が飛び交っていたが、出口調査の年代別の賛否を見て「高齢者に負けた」という声が多かった。ただしよく見れば、事情は少々違うのではないか。

高齢層に反対が多いことはわかっていたはずなのだから、他の年代を「説得し切れなかった」ことが敗因だろう。今回もそうだが、選挙でも高齢層が投票率は高い。ただ若年層の棄権層がもう少し動けば、今回の票差は覆った可能性もある。高齢層に負けたというなら、不戦敗と言った方がいい。全国の人口推計でいえば、70代は20代より10%ほど多いが、それ以上に投票率の高さがものをいう。これは2年前にも書いておいた

この際のグラフでは、実数で作っているが、出口調査では各年代とも「同じ幅」にしている。それだと実態がわからないけれど、そういうデータがどんどんシェアされてしまう。

ただし、ネットでは「老害」「シルバーデモクラシー」と言った方が、話が早いようだ。どういう切り口にすればアクセスが増えるかは、すぐにわかる。どんな調査でも若い方がネットをよく使うのだから、ネット上では「高齢者に押しつぶされる若者」という方が受けはいいのだろう。 >> 「老害」という言葉への引っかかり。の続きを読む