2021年04月アーカイブ

とある飲食店街で、こんな紙が貼ってあった。時短営業はしているけれど「夜でも明るかったらどこか安心して通ることのできる通り」にしたいということで、店は閉めても明りはともすという。

ああ、優しい気持ちだなあと思っていたけど、どうもそういうことを否定する人たちもいて、たまたまそんな人が東京都知事を務めていたりすることに、ちょっと驚いたりもした。
そこで、「ああ、そうか」と思ったんだけど、これは「国防婦人会」なんだな、と。横目でしか見ていないNHKの朝ドラだけど、戦時中の描写にはよく出てきて「欲しがりません勝つまでは」を猛烈に広めて、たいがい主人公は、そして視聴者も「いや~な感じ」となる、あの同調圧力の権化のような人。

なんか、あのようなコスプレをしてみたらどうなんだろうか?とかくだらないことを考えたけど、彼女の言葉を見ていくと、いろいろな意味で巧みに「広告的」であるのではないかと思ったりもした。

ちょっと前(4/16)に「もう疲れたとか言わないでください」と記者会見で言ったのも、驚いた。これも、なんとなく戦時下な感じがしてしまったりしない?「もう歩けません」とか言って、「貴様、何をぬかすか!」みたいなのも日本的光景だったりするし。

ただ、この言葉がなぜ広告的なのか?というと、「逆に言ってみる」と明らかになる。

「もう、疲れたとはいわせない!」

ほら、これだったら栄養ドリンクの広告になる気がしませんか?
「夜の街の灯りで暖かく」というのを裏返せば、「不夜城の街は危険」という言い方もできる。実は広告というのは、1つの事象をどのように捉えるかで、人の心に働きかける。

人をやる気にさせることもできれば、人の意欲を奪うこともできる。

だから「戦争と広告」というのは、とても深い話にもなって、日本の戦時下の広告の研究も多い。そして、コロナ禍であれば、実はもう似たような状態になっているようにも見える。

ただし、現在は情報統制の時代ではない。だから、科学的根拠がうすいことを言えば、その人の信頼は下がるし、言うことを聞かなくなる。

そして、どうなるかといえば「中学生とで生徒指導の先生」みたいな関係になる。抜け道探して、荒川や多摩川わたって出かけていく。で、「やめなさい」と言って通じるのは、話者が信頼されている時だよね。

実は「街頭消しましょう」と言った時点で、これはある種の「誇大広告」で「根拠のないメッセージ」に感じられたんだと思う。

そういう企業が「また言ってるよ」と信頼されなくなるのと同じようなことが、とうぜん起きていくんじゃないだろうか。
別に広告の体裁をとらなくても、世に「広告的なもの」は溢れている。どこか心がざわつくようなメッセージを受けたとしたら、それは本来前向きであるはずの「広告的なもの」をダークサイドから操っている可能性も考えた方がいいと思うのだ。

※そういえば「医療従事者に感謝の手紙」というのも「兵隊さんへの慰問袋の手紙」のようで、なんか似たような空気感があったりするんだなあ。