コロナは都市を殺すのか?
(2020年5月28日)

カテゴリ:世の中いろいろ

レストランでは席間を空けて、劇場では市松模様に座る。感染症防止の観点からは「正しい」ことだろうけど、これを異常と言わないで「新しい常態」(New Norm)というのが世界的な潮流だとして、これを本当に「常態」として受け入れ続けるのか?ということについては、とりあえず先送りされている気がする。

飲食も興行もそれで経営的に成り立つのか?というような話だけじゃなくて、そもそも人間が長い時間かけて作り上げた「都市」は、本当に価値を保てるのか?そもそも、都市という存在はどうなっていくのか?というくらいの話だと思うけど、意外と論じられてない。

というのも、そもそも都市は「密」によって成り立っている。産業革命がビジネスの集中化を呼び、市民の勃興が新しい文化を生んだ。前者については、デジタル化によって分散化がもたらせていこうとしている。じゃあ、文化はどうなんだろうか。

妙に人々が距離を空けているヨーロッパの街のニュース映像を見て思い出したのは、大学2年のドイツ語の講義だった。岩下眞好先生がテキストに選んだ『ウィーン精神』はのちの和訳が出たものの、当時は英訳くらいしかなく、それでも「ないよりはマシだろう」と後からコピーをもらったほど、ドイツ語は難解だった。

学生は4人ほどだったが、原文を読むよりも先生の文化論を聴くための時間で、特にウィーンのカフェのことは印象的だった。そこには作家や批評家が集まり、話し、出会いがあり、文化が生まれる空間だった。そして、文学や演劇、音楽が生まれて、その場である建築もまた価値を持つ。それこそが「都市」の意味なんだ、と何度も聞かされた。

当時の日本の「喫茶店」とはもちろん違ってはいて、それがヨーロッパなのか、と思った。ただ、あとで考えてみると東京や京都でも、そして世界中の都市では、いろいろなスタイルで「集う空間」があり続けたわけで、そこは当然密だったし、だからこそいろいろな化学反応のようなものが起きたんだろう。

自分自身はそもそも自宅で仕事をしているし、そのうち東京を離れてもいいかな?とシミュレーションすることはある。ただ、思いとどまる理由は2つで、1つは友人と食事をしたりする機会を減らしくないことと、もう1つはコンサートや芝居などの舞台を見たいということだった。

つまり「密」であることで成り立っていた時間が、自分にとっての価値だったと改めて思うし、都市はそもそも人が「ギュッ」と集まっていたから都市だった。

ウィルスは、都市を殺してしまうのか?東京は?ウィーンは?イスタンブールは?

どうなるかは、まだわからない。ただ「新しい常態」を受け入れ続ければ、数百年にわたって築かれた都市文化、とりわけ明治になった頃のパリ万博以降の集積は逆回転していくのかもしれない。

いま失われつつあることの本質は、都市にとって相当大きいことだと思う。何かが根っこから変わってしまうかもしれないことに対して、どこか目をそらしている気もするのだ。

その一方で、行き過ぎた過密がなくなり、僕もどこかでホッとしてるところもある。

都市って、どうなるんだろう。

知らぬ間に、大きな歴史的岐路に「ポン」と立たされてまま、ボーッとしているような感覚が世界のあちらこちらにあるんだと思ってる。岩下先生は3年半ほど前に鬼籍に入られたが、いまの世の中を見たらなんというのだろうか。