日本でも世界でも小麦粉が売れているようで、それは家でパンなどを作っている人が増えているからだろう。家で時間があって、食べることが何よりの楽しみになる。
パンだけではなくて、餃子も皮からつくると結構楽しい。そういえばパスタも一頃よくやったなあ。
というわけで、その背景はよくわかるんだけど、これは「触感」に関係するんじゃないかと思った。パンを作るときはこねる。これが結構心を落ち着かせるんじゃないか。外に行けずに刺激が減って、さすがにオンラインコンテンツも見飽きてくると、人は積極的にある種の単調さを求めるようにも思う。そして、ソーシャルディスタンスは、人間の「触感欲」を抑制する。互いに頬をすり合わせる習慣のある人たちとか、本当にムズムズしてるのかもしれない。
ただ、パンや餃子つくりと「触感」との関係は、いま思いついたわけではない。15年ほど前に会社の大先輩の関沢英彦さんに聞いた話がヒントになっている。
その頃は団塊世代がどっと定年を迎えた時期で「セカンドライフ」とかが言われ始めたころだ。関沢さんは韓流を追っかけていた女性を「還暦ギャル」と言っていて、その一方で当時のシニア層がはまる趣味の共通点を教えてくれた。
それは「陶芸」に「そば・うどん打ち」、そして「ペット」だと。で、そこに共通点があると思うんだよね、と言われるのだけどわからない。どういう三題噺か?という感じだけど、「それって、触感を求めていると思うんだよね」と言われたのだ。
シニアが元気と言ったって、心の底には寂しさや不安がある。そんな時に人間が根本的に求めるぬくもりって、視聴覚よりも味覚や嗅覚だろうし、一番は触覚じゃないかと。
土をこねる、粉をこねる、犬や猫を撫でる。たしかに、どれも触感がカギになってる気がするよ。
という話を、あらためて思い出したのだ。パンなどをつくるのに小麦を練るのは、触覚を通じた根源的欲求なのかもしれない。
そういえば、この巣ごもり期間のあとに「猫を飼いたい」という人が、さらに増えてくるような気もする。ペストのあとにネズミを捕る猫が重宝されたという伝説のようなものもある。そうやって歴史の節目で、猫はちゃっかり人間の心に入ってきたのかもしれない。
あ、結局、猫の話になってるじゃないか。