予定がどんどん空いている。と言っても、仕事はミーティングがオンラインになったくらいで変化なく、コンサートや芝居が休演になっているので、時間が空くのだ。まあ、馴染の店に順繰りに顔を出して食事したりしている。
この公演中止は、関わっている人のことを思うといたたまれないんだけど、賛否を言えるかというと、感染症の知識がないだけに難しい。確率的に考えれば、規模が大きい方がよくないことくらいわかるけど、ライブハウスと芝居では接触や観客の発声とか全く異なる。
クラシックコンサートなら咳をするのも憚られる。歌舞伎だったら「音羽屋!」みたいな「大向こう自粛」とかしたら?下手な落語家なら笑えないからやってもいいけど名人はダメでしょ、などと話しているうちにあらかたなくなってしまった。
そんな中で野田秀樹氏が「意見書」を出した。読んだ人も多いと思うけれど、僕は「間違ってないけど、なんか違和感があると思った。とくにこの辺り。
(引用)演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術です。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません。ひとたび劇場を閉鎖した場合、再開が困難になるおそれがあり、それは「演劇の死」を意味しかねません。(引用ここまで)
まあ、そうだと思う。スポーツを下に見てると思う人もいるかもしれないけど、まあ「自分が一番」と思ってなけりゃこういう仕事はできないし、まあいいか。でも、やはり何かが引っかかっていた。
で、昨日3月13日に行く予定だった、柳家三三の落語独演会が中止になってしまった。そして、彼のホームページにはこんなメッセージがあった。
(引用)3月13日の「月例 三三独演」はコロナのせいで、開催断念、中止いたします。
やるかやめるか皆んなですごく悩みました。大勢が集まることで感染リスクが高まる催しを行う決断が僕にはできませんでした。
ごめんなさい。
でも指をくわえてやめるだけでなく、慣れないことだけど同日同時刻に落語をやって、YouTubeでご覧いただくことにしました。
しかもどなたでも視聴可能。だってぼくも落語をしゃべることに飢えてますから。
もろもろ詳細はこの後あらためてご案内させていただきます
この形がベストとは思いません。でも今できる精一杯です。1日も早く会場で会える日が来ますように!令和2年3月5日 柳家三三(引用ここまで)
そういうことか。「演劇の死」と観念を振り回すのは、さほど難しいことではない。でも、三三の言葉には観客への想いと、落語を愛する気持ちが溢れていて、しかもYouTubeで誰にも見られる「会」にする!
生の落語と配信は、同じではない。そんなの誰にでもわかる。でも三三は考え抜いて「代替案」を実行する。2つの文章のどこが違うのか?
それは一言でいえば当事者意識だろう。批判も意見も誰でも言えるけど、それでウィルスはなくならない。でも、すべてに開放された三三の芸を見れば、きっとストレスは低減される。だったらいわゆる「免疫力」が上がるかもしれないくらいの期待もあって、それだけでも三三は誰かを幸せにするだろうな。
この2人の言葉を比べた時、「生きた言葉」の意味が初めて分かった気がする。
コロナウィルスをめぐる「空気感」は今までとどこかが違う。震災や台風のあとも、観光や外食に影響があったけれど、あの時の「被害と悼む」自粛ムードとは明らかに別の空気だ。
報道がおなじテーマ一色という意味では似ているんだけど、ふと気づいたのはNHKなども「L字」になってないこと。
被害や交通の状況を刻々と伝える画面は「有事な空気」を醸し出していたが、いまのTVはL字はもちろん編成もそのままだ。
L字というのは、それが「いつか終わる」ことであり、その後は復興などに向けて人々が動くという記号でもあったのだろう。しかし、今はどうしようもない。誰もが「被害者/加害者」になる可能性があり、不安が増幅すれば流言が飛ぶ。
そして、こういう時こそ、やたら「安心」を求めるのではなく、「信頼」が必要なのに日本人はそれが苦手ではないか?という問題提起をしたのが社会心理学者の山岸俊男氏だった。
「安心」したいけど、「信頼」はしない。日本だけでなく西欧以外は同様の傾向にある、という分析の詳細は本書を読んでいただくのが一番なのだけれど、今回気にしたのは「商人道」と「武士道」の対比だ。これはジェイン・ジェイコブス『市場の倫理 統治の倫理』で指摘されていることを引用なのだが、いまのような時にこの対比を見ると、とても面白い。
「市場の倫理=商人道」こそが求められるが、「統治の倫理=武士道は、事態をややこしくするように感じるのだ。
その対比を抜粋するとこんな感じになる。
【市場の倫理】 自発的に合意せよ/正直たれ/他人や外国人と気やすく協力せよ/創意工夫の発揮/目的のために異説を唱えよ/楽観せよ
【統治の倫理】 勇敢であれ/規律遵守/位階尊重/忠実たれ/剛毅たれ/運命甘受/名誉を貴べ
もうお分かりだと思うが、今回の感染拡大でいち早く行動したのは企業だった。しかも若くて機動力あるプレイヤーがまず動いた。一方で国の施策が発表されてから混乱がかえって高まっている理由はここにある。「頑張ろう」という話は全く効かない。国民一丸も意味がない。
アタマをつかって協力しよう、ということに尽きるわけで、ネット上でも善意の交流はちゃんと起きている。
おもしろいのは、こういう時に行動することもなくSNSなどでも政治を論じている人は、右も左もほとんど建設的でないということかな。結局それは統治の倫理を異なる角度からのたまっているだけだからなんだと思うとわかりやすい。
でも、僕はこの騒動後の日本を楽観している。統治の倫理が有事の際に不合理であることを学び、商人道を進もうとしている多くの人のうねりを感じているからだ。