トリトン晴れた海のオーケストラ 第6回演奏会ベートーヴェン・チクルスⅢ
2019年6月29日(土) 14:00 第一生命ホール
ベートーヴェン:交響曲 第4番 変ロ長調 Op.60/交響曲 第7番 イ長調 Op.92
世界中にいろいろなオーケストラがあって、それをランキングすることに意味はないと思うけれど、それでも自分に「これだけはいま聴いておきたい」というオケはあるわけで、この「晴れた海のオーケストラ」もその1つだ。
敢えて言えば、いま日本で1番イキイキしていて、スリリングで、しかも最高に考え抜いた上で演奏しているオーケストラだと思う。だから、ランキングに意味はないと言いつつ、「日本一!」と言いたくなってしまう。
都響の矢部達哉氏をリーダーとしたオーケストラで、指揮者はいない。しかし、「指揮者がいない」こと自体からとは思わない。このオケが素晴らしいのは、演奏後に「あ、ベートヴェンってすごい!」と、心から思えることなのだ。
そして、しばらくすると「20人の弦楽器でここまで鳴るのか」とか、「こんなにもいろんな声部がクッキリ聴こえるのか」といろいろ感心するのだが、やはりそれも「曲がすごいんだ」というところに一周して戻ってくる。
考えてみると、クラシックのコンサートを聴いた後の感想というのは、殆どが「演奏家に対する賛辞(時に恨み言)」だと思う。それは、昔ながらの新聞評もそうだし、終演後のTwitterだって、同じような感じだ。
僕もコンサートを選ぶときは、まず出演者を気にする。誰が来日するとか、誰かと誰かが共演するとか。
でも、音楽を聴き始めた頃は違った気がする。まず、聴いてみたい曲を追っていたはずだ。もちろんそういうニーズはいまだってあるから「名曲コンサート」が存在する。ところが、経験を重ねるほど、「曲を聴く」よりも「演奏家を聴く」ようになってしまっているんじゃないか。
どっちがいいとか悪いとかではないんだけれど、「晴れオケ」を聴くと、演奏家はとても澄んだ存在で、それはこそ晴れた海のように透明で、その奥から曲が姿を現してくる。
そういう感覚になることができるコンサートってとても貴重だと思うし、しかしそれが「再現する」ことの本質なんだと思う。
ちなみに、7番は1楽章から2楽章、3楽章からフィナーレがそれぞれアタッカで演奏された。つまり、大きく二部構成のように聴こえるのだけれど、そう思うと2楽章がたっぷりと歌われたことも納得できる。
ベートーヴェンは、あと2回を残すのみ。このオケは東京の宝だと思う。