10年以上大学でマーケティングやメディアの科目を担当しているので、毎回メディア接触についての簡単なアンケートをしている。それほど厳密ではないけど、100人以上対象なので、だいたいの世の中の流れを反映している、というか半歩以上先を行ってる感じかな。
ここ3年くらいだと、時々は「ラジオ」を聴く、という人が少し増えてきて、とはいえ全体の5%くらいだけど、ひと頃は当たり前にゼロだったんで、やや目立つのである。
が、「ラジオ」は聴くけれど、「ラジオ」というものを見たことがない人が多い。
つまり、スマートフォンで「勝手に放送を流してくれるアプリ」がラジオなのだ。
そうなると、文系学生に周波数の概念を教えるのが難しい。ラジオをチューニングしたことがないのに、テレビが超短波とか言っても通じない。一頃は携帯の帯域でGHzとかMHzとか言ってたこともあったが、いま「ギガ」といえば通信容量のギガバイトだし、そもそも「昔のAMは10KHz単位だったのを移行したんだよな」とか、同世代の友人にも通じなかった。調べたら1978年だったけど。
まあ、それはいいんだけど、考えてみればいま自宅で見てるテレビも「どこから放送が来てるか」よくわかってないことに気づいた。集合住宅だから壁のアンテナ端子に差し込めば、地上波もBSもCSも見られるけど、たしか地上波はケーブル経由だったのか?BSやCSは共同受信のアンテナだと思うけど、どこにあるのか見たこともない。
つまり、いま見てるコンテンツが放送か通信かはもうどうでもよくなっていて、年代を問わず、自分にとって何となく面白いものに接していて、その多くは動画だったりする。
そういえば「マスかネットか」のように対立的に語られることもなくなった。あと、「インタラクティブ」という言葉も聞かなくなってきて、ある時期は広告会社の組織名でも結構みかけたけど。
ネットメディアが誕生したころは、マスメディアに対しての対抗心も強く、だから「マスにはできない」ことにフォーカスして「インタラクティブ」のような概念も大切だった。ただし、勃興期の通信環境では、できることがあまりに少なかった。
その後4Gの時代になり、気がついたら「すべてがマスになる」ような状態だ。Youtubeでも、Netflixでも地上波テレビでも「見たら見っぱなし」で、次の面白いものを探す。そして、SNSでは「皆が見たものを見なくちゃ」となる。2時間の映画も5秒のネコ動画も、「等価」と言っては言い過ぎかもしれないけど、見ている方のアタマの中では序列は薄くなってるだろう。
週末の雨の日は2時間の映画を見て、通勤時の隙間時間にはネコ動画。どっちもヒマつぶしの選択肢で、あとはヒマ度合いでコンテンツが決まる。
見る方はそれでいいとして、広告はどうなるんだろう。この流れに個人情報へのアクセスを制限する傾向が加わると、結局はマス広告の時代のように量的パワーで決まっていくのか。『新記号論』が鋭く指摘した「模倣と感染」がさらに真実味を増していくようにも思う。
ちょっと話はそれるけど、今秋オープンする渋谷スクランブルスクエアで「デジタルサイネージ実証実験」がおこなわれている。
これをどう見るか、「ビッグブラザー」とか思うのか、それだと歳がバレる気もするけど、全体としてどこか「パワー広告の時代」に回帰していくような感覚もある。
いずれにせよ広告を「媒体別」で捉えるのは、業界の事情に過ぎない。そして、本当に「生活者視点」でメディアプランを考えたら、どうなるのか。
後代の歴史の本には、「あらゆるプレイヤーが入り乱れて戦った“メディア統一大戦”がありました」、と書かれるんじゃないだろうか。