2019年06月アーカイブ

まずは、広告業界の昔話をしてみたい。

かつて、マス広告が全盛でクリエイターがアーティストのように振る舞っていたい頃、広告は「読解され、解釈される」ものだった。というか、一部の業界人がいろいろ後付けの理屈を言って、便乗した学者がコメントして小遣い稼ぎをしていた。

その時の、武器が「記号論」というものだった。別に広告の仕事をしていなくても、1980年に大学生活を送った人で、ちょっとアカデミックなことをかじってみたなら何らかの影響を受けていたと思う。

だから、広告の分析も色々と大変だったりした。

画面にワイングラスが映る。どうやら屋外のようだ。すると、これは「開放感」の象徴であると「読み解く」のだ。日中のようだから、これは昼から飲む「背徳感」かもしれない。しかも晴れていなくて「曇り空」だ。

2つのグラスが映り、どうやら男女のカップルだが、男の指だけに指環が見える。そして、ますます「背徳感」が強調されている。そして、足元には猫の姿。一方で、遠くから芝生の上を犬が走っている。

ネコは思うがままに生きる自由の象徴だが、一方でイヌは正当性の象徴で、ワインの品質は保証される。つまり優れた品質であるが、そのスタイルは顧客に委ねられていて、まさにポストモダンの生活を描いている。

なんてことを大真面目にやっていたんだけど、実は単にロケの日の天気が悪くて、モデルが指環を外し忘れていただけだったりする。しかも、宣伝部の担当が猫好きだったけど、直前に部長が犬を飼っていることが判明して慌ててカットに加えていたりしても、一生懸命「読み解き」をしていたのだ。 >> メディアや広告の仕事してるなら、『新記号論』は気になると思うよ。の続きを読む