まだ、4月ではないか。何かこの月はあまり読んでなかった。というかことに新刊が少なくて、かつ仕事がらみの調べ物が多かったんだろう。
大澤真幸『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(KADOKAWA)は、ブログのこちらで既に書いているけれど、結構気になって読まれた人も多かったようだ。ことにメディアや広告の仕事をしている人にとっては気になる内容だったんだと思う。
何であまり読んでないのか?というと忙しいこともあったけど、幡大介『騎虎の将』(徳間書店)の上下巻が結構な大部だったからかもしれない。でも、これはちょっと意表を突く切り口の時代小説だった。
主人公は太田道灌。東京で生まれ育った人であれば、学校でも必ず教わるだろう。「江戸」を開いたと言われる人で、旧都庁に銅像があった。新宿に引っ越しの時にもっていったのか、それにしてもどこにあるんだと調べたら国際フォーラムに残したらしい。
いずれにせよ、室町時代の関東を代表する人物の1人だけれど、そもそもこの頃を舞台にした小説自体が少ない。小説、そしてドラマや映画でもあまり人気のない室町時代であるが、最近はジワジワと関心が高まってる気もするし、この作品はなかなか面白いところに目をつけたと思う。
変わった時代といえば、澤田瞳子『火定』(PUP研究所)は、奈良時代を舞台にした疫病との戦いを描いている。その疫病は天然痘。目の付け所はもちろん、ストーリーの展開や人物の描きこみなど、平城京の時代に引き込んでくれる小説はそうそうない。
彼女の『腐れ梅』(集英社)は平安時代を描いていたけど、これも独特の世界に引きずり込まれた。直木賞の候補にもなったようだけど、これからも有力なのではないだろうか。
伊東潤『修羅の都』(文藝春秋)は、源頼朝を主人公に据えて、政子との関係を軸にして鎌倉の権力闘争を描く。誰もが知っている人物だけれど、意外と描かれる機会は少なかったけれど、道灌の時代も含めて関東って力のあり余った田舎侍が暴れてたんだなあ、とつくづく思う。
真梨幸子『ご用命とあらば、ゆりかごからお墓まで』(幻冬舎)は、百貨店外商が主人公の連作ミステリー。
なんか、この月は日本の歴史にどっぷりつかっていたのかもしれない。僕は殆ど見ないけど、大河ドラマでは相変わらず戦国と維新が目立つ一方で、歴史小説はどんどん新しい切り口を求める作家が増えているんだなと改めて思った。
そして、古典シリーズはドストエフスキー『悪霊』(光文社古典新訳文庫)へ。いまにして思うと、これ暖かい頃に読み始めたから、このあともサッと行けたのかもしれない。冬だったら、もう嫌になってたかも。