モーツァルトだってマーケティングしてたんじゃないか?という話。
(2018年12月4日)

カテゴリ:世の中いろいろ

とある人気歌手がテレビに出て作詞術を語った時に、周りの人にいろいろ尋ねながら書いていくという話をしたそうな。そうしたら、例によって「ネット上では賛否」とかなっていたらしい。

しかし、なんかSNSとかの反応まとめて「賛否」って見出しつけるのもどうなんだ、と何度も思いつつ今回の件は気になってしまった。

というのも、批判する人は「マーケティングで歌作るなんて」と言いたいらしいけど、いや芸術ってそういうところあると思うわけで。

以前大学でキャリア論を教えていたんだけど、まあだいたいは「やりたい仕事をするべきか」みたいなテーマが出てくる。で、僕は「いや、誰だってまず“できること”“売れること”をして生活のこと考えるんじゃないか?」ということを言っていた。

その時に話したのが、モーツァルトの話で、31番目の交響曲だ。

通称「パリ」と呼ばれるんだけど、名前の通りパリで演奏された。で、モーツァルトはどうしたかというと、思いっきりパリで受けるような技巧を散りばめた。

そして、受けた。手紙にもその辺りをことを書いている。こうした事情については、たとえばこちらのページなどが詳しいだろう。

まあ、モーツァルトもマーケティングしていたと言っていいんじゃないか。

別に彼に限らず、芸術家のことを調べていくとこうした事例は山ほど出ている。モーツァルトの時代は、市民社会が勃興して「聴衆」が登場して頃だけど、その前ならパトロンの好みに合わせることになる。

もっとも、生前に評価されなかった芸術家もいる。ただし、彼らだって「売れなくてもやりたいことやればいい」と思っていたんだろうか。昨年出版された『ゴッホの耳』などを読んでも、そういう感じはしない。(この本は面白かった!)

本人の望みとは裏腹に、生前は評価されなかったということだろう。

だから、いまさら「リサーチして音楽作る」ってことを批判してもしょうがないと思うんだけど、やはり気になることもある。

というのも、モーツァルトの31番だけど、これを「最高傑作」という人に会ったことはない。シンフォニーでいえば、最後の3曲、つまり39から41番の評価が高いし、僕もそう思う。ただ、こうした晩年の曲は「パリ」のように目的や依頼者が明快ではないらしい。

つまり、モーツァルトが「書きたいものを書いた」という可能性が高いのである。

やっぱり、時代を越える「超傑作」のようなものは、どうやら全然違う動機から生まれるのかもしれないなあ、と思ったりする。

ただ、どんな芸術家だって生きていくためには「マーケティング」的な思考をすることだってある。だから、過剰な期待をしても仕方ないし、少なくても何かの創作を仕事にしている人なら、まあそこに文句は言わないと思うけどね。