メータがマーラーを連れて来た奇跡。バイエルン放送響の「巨人」。
(2018年11月23日)

カテゴリ:見聞きした

バイエルン放送交響楽団 日本公演

指揮:ズービン・メータ

2018年11月22日 19:00 東京芸術劇場 大ホール

モーツアルト:交響曲第41番ハ長調「ジュピター」/マーラー: 交響曲第1番ニ長調「巨人」

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コンサートの前に、その曲の録音を聴くことは少ないんだけど、ふと思い立って前夜に「巨人」のフィナーレを聴いてみた。82歳になるメータは、この曲をどのように演じるんだろうかと何か気になったのだ。

で、スピーカーから第二主題が流れてきた時、「あ、ここかな」と思った。若き日のマーラーが書いたこの曲を、いま演じるとしたらここがある種の山場なんじゃないか。

そして、その直感は当たったと思う。あの豊かな響きはいまでも蘇ってくる。

それにしても、緊張感があって、優しく、そして力強い演奏だった。しかし、この夜の演奏会は危うい要素に満ちていたのだ。

まず、公演までひと月を切った10月下旬に、ヤンソンスが健康上の理由でキャンセル。そして、メータが代役として発表される。サントリーホールの2公演は同じプログラムとなったが、この日はマーラーの7番が予定されていたため払い戻し対象にもなっていたのだ。

一瞬迷ったのだけれど、メータの「巨人」を若い頃から得意としてきたし、僕も好きなのでこの夜を楽しみに待っていた。

しかし、会場について指揮台を見ると様子が違う。椅子が置かれているのはともかく、コンサートマスターの方にスロープをつけてある。さらには、足元には慌ててこさえたフットレストのようなものも見えた。

詳細は知らないがメータもまた患っていたとは聞いていた。今年5月のイスラエル・フィルの来日が中止になっているのだ。

オーケストラが待ち、しばらくすると上手の客が拍手を始める。だが、すぐにメータの姿は見えない。杖をつきながら、介添人に支えられながらのゆったりとした登場である。

しかし、一度振り下ろしたタクトは明晰だ。モーツアルトではオーケストラも緊張したのか、しばしば縦が合わないこともあったけれど、マーラーが始まると、もうそこは別世界のようにキラキラしている。

しかし、「巨人」というのは中二病の塊のような音楽だ。最近でも、ネゼ=セガンやネルソンス、あるいはルイージなどで聴いたが、指揮者としてはアクションを見せる格好の舞台だ。この後も、ハーディングやドゥダメルと続くようだけど、まだ青春の残照を感じさせるような「若手」が振るイメージがある。

少々の傷がある演奏でも、「ホルンが立つなら七難隠す」という感じで、アマチュアを含めて一定率の感動が得られる。

しかし、音楽ってそういうことじゃないんだなあとしみじみ感じる。この夜のメータは、マーラーとオーケストラと客を結ぶ三角形の真ん中にいて、憑依したかのように音楽を呼び起こしていた。

いままで聴いた巨人とは異質の体験だった。

自らの動きは少ないが、あの席に彼がいて、どこからかマーラーの気持ちを2018年の東京に連れてきたようだ。それが本来の演奏家の仕事と理解してはいるものの、舞台の上で透徹した存在になることはとても難しく、そういう場に巡り合うことは稀だ。

とても貴重で幸せな時間だった。オーケストラが退いたあと、車椅子に乗って舞台に戻った彼に対して、みなそうした感謝をつたえたかったのではないか。