2018年07月アーカイブ

7月6日におこなわれた、オウム真理教に関する死刑執行の時は、ちょうどミーティング中で、昼前になってニュースを見て驚いた。

いままで見聞きしたさまざまな事件の中で、何が一番インパクトが強かったか?それは人さまざまだと思うけれど、個人的には1989年のベルリンの壁の崩壊と、1995年のオウム真理教事件が双璧だ。

どちらも「人の為したこと」であり、それまでの前提を引っ繰り返されたことが強い印象だった。

死刑制度については、いろいろ思うところがある。ただし、この7人の執行が行われた途端に、唐突に疑義を唱えたり抗議することもあまり理解しにくい。

刑法の見直しを主張して活動している人ならともかく、個別の執行自体に疑問を呈したら、司法判断の否定になる。恣意で行政が執行しなければ、それもおかしい。これは、日本人が容認してきた制度の帰結で、最終的には立法府のテーマになるだろう。

しかし、それでも今回の報道を見て、疑問が残った。そもそも、死刑はここまでショー化されていいのか。それは多くの人が思っているだろうが、なぜそうなったんだろうか。

法務省の文書を見ると、平成10年(1998年)11月から「死刑執行の当日に,死刑執行の事実及びその人数を公表」となり、平成19年(2007年)12月から「 死刑執行の当日に,執行を受けた者の氏名・生年月日,犯罪事実及 び執行場所を公表」とある。 >> 最期までオウムをショーにしたメディア。の続きを読む