昨秋、萩に行った。細かく書くと、出雲から温泉津に回り、津和野から萩へ。その後山口市から、宇部へ抜けて帰ってきた。
天候に恵まれて楽しく過ごしたのだが、萩の町ではやっぱり「萩焼」が気になる。
焼き物にとりわけ関心があるわけでもないのだけれど、ついつい買ってしまうことも多い。西の方では、以前出雲の出西窯の工房に行った。そうだ、その頃はちょうど出雲大社が葺き替えだったので、今回はちょっとしたリターンマッチでもあったのだ。
ただし、何といっても萩焼だ。あちらこちらに店がある。良し悪しはわからないけど、まず城など観光の中心にあるような店で何となく相場をつかむ。ただし、ズラ~ッと並んでいるのを見るほど、どうすればいか分からない。
というわけで、今度は街なかを丁寧に歩いてみる。萩は昔ながらの街並みが残っていてそれが観光資源になっている。萩焼の店もあるのだけれど、今度はいろんな意味で手が出しにくい。
有名な先生の「作品」になってくるので、価格も高い。高くても自分の目に自信があればいいけれど、皆目見当もつかない。しゃれた店もあって、デザイン的にも大胆なものも扱われていて、なぜか、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」が店内に響いている。やはり、退散した方がいいような気になってしまう。
もうあきらめようかと思っていたのだが、前日クルマを走らせながら裏道の店を幾つか頭に入れていたので、そこを回っていくと「オッ?」と思う店があった。どことなく、佇まいが凛としている。とある窯の店なので、いろいろ並べている所とは空気感が違う。
しかも、今まで見ていた萩焼とはどこか違うのだけれど、これは「鬼萩」というものである、と説明された。
野性味があって、手触りもざらつきがある。土から生まれた来たんだな、と実感できるような自然な色合いだけれど、人の手が生み出す風合いがある。
というわけで、茶碗をいただくことした。その時に、「これで食べるとおいしいですよ」と言われたのだが、理由を聞いて腑に落ちた。
独特のざらつきは、水分を適度に吸収する。つまり、炊いたご飯を釜からおひつに移すのと同じような効果があるというのだ。
自宅に帰って、半信半疑でよそってみた。わざわざ普通の茶碗と食べ比べてみる。
たしかに、違う。特に炊き立て直後というのは「ふっくら」と「べったり」は紙一重だと思うのだけれど、それがいい方に落ち着く。
表面の艶はありながら、べたつきのない適度な食感になるのだ。茶碗に盛った僅かな時間でここまで変化するとは思わなかった。
そのような性質の鬼萩だからこそ、水が漏れやすく量産には向かない。段々と作る方も減っているそうだが、僕が行ったこちらの「一佳窯」ではさまざまな器に出会うことができる。
しかし、萩に限らないけど、焼き物の有名な町でいい店に巡り合うのはなかなか難しい。ネットを見ても、マップや店名や特徴などの情報が整理されてないから、今回のように足が頼りになるけど、むしろ意図的にそうしてるんじゃないかとさえ思ったりする。
なんか、もったいない気もするんだけどね。