最近は女性の就業率も上がっているが、一方で「専業主婦/兼業主婦」という言い方も根強い。でも「専業会社員/兼業会社員」とは言わない。これから増えるかもしれないが、今のところはあまり聞かない。
つまり、既婚女性が仕事をしていても、「主婦」を辞められないので「兼業主婦」と言うのだろうか?ということになる。
で、調べてみると「主婦」という言葉の歴史を研究した論文があった。実践女子大学の広井多鶴子先生が書かれた『「主婦」ということば』(リンク先pdf)だ。
詳細はそちらをご覧いただくとして、興味深いのは明治以降の「家政学の翻訳書」に「主婦」という言葉を与えたということだ。「主婦」という言葉は漢籍にはあったが、明治になるまでは一般的な日本語としては使われていなかったのだ。
しかし、段々と「家政」というものの啓蒙が広がった結果「主婦ということばは、この時期に、妻が家政担当者であることを明言することばとして成立した」(広井)というのである。そして、主婦という仕事は「女性としての素質、天性に基づく任務」(同)と位置づけられるようになったと論じられる。
もし、「主婦」という概念がなかったらどうだったのか?そう考えてみると、この言葉の持つ「拘束力」のようなものも見えてくる。主婦という言葉があるから「主婦の務め」のような概念も出て来る。「主婦」という言葉を冠した出版社が複数あるように、主婦という言葉は「こうあるべき」という謎の倫理観とセットになっているように思うのだ。
主婦に当たる言葉は、男性だと何になるのか?思いつくのは「主人」だ。先の論文によると、そのような対比で使われたこともあったらしい。
しかし、ちょっと考えると全く違う。たしかに「主人の務め/主婦の務め」という言い方は成り立つ。
でも「ご主人様」と言っても「ご主婦様」とは言わない。「主人が参ります」という表現はあるが、「主婦が参ります」とはならない。つまり二人称でも三人称でも代名詞にはならない。
どうやら「主婦」という言葉は人格を伴う個人を指すのではなく、「特定の役割」をする人を指していることになる。
じゃあ、職業名かというとそうでもない。なぜなら「車掌が対応します」「警官に聞いてください」のように、「主婦が行きます」とはならない。これは「うちのサラリーマンが伺います」と同じように変な感じがするだろう。先の「車掌/警官」のような言い方は専門職だから成り立つのだけど、主婦はそうでもないようだ。
どこまで言っても、主婦という言葉は「特定の仕事をする役割」だけがあてがわれているように感じる。そして、その特定の仕事のほとんどはいわゆる家事だ。
そこで思うのだけど、もしメディアで「主婦」という言葉を使わないとすると、何か不便があるのだろうか。「主婦の困りごと」を「女性の困りごと」というと、さすがに広すぎる感じはするが「家事の困りごと」でも成り立つんじゃないか。
主婦に対して「主夫」という言い方もあって、発音上は「しゅおっと」と言う方もいるが、いま一つ広まっていない。だったら、「主婦」を言い換えてみたらどうなんだろ?と思ったりもするのだ。
これは「主婦」を禁止用語にするというわけではない。言い換えることによって、先入観を取り去る思考実験になるように思うのだ。
先にも書いたように「主婦」という言葉自体が、明治時代の「家事」概念の啓蒙と密接に結びついているのだから、そのくらいの発想転換をしないと日本における「男女」の問題は先に進まないように感じている。
なお『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』はいい切り口だと思うけれど、ちょっとロジックが飛ぶことがあって損しているように感じた。『結婚と家族のこれから』は、日本の家族をさまざまな視点で分析しつつ、ジワジワひろがる「結婚による格差」を浮き彫りにしている。これからの家族のあり方についても示唆的だし、マーケティングに関わる仕事をしているなら一読しておいた方がいいんだろうなと思う。