なんか、最近テレビニュースを見なくなった。というか、朝7時からNHK BS-1でやっている「世界のニュース」と、録画して風呂で見るワールドビジネスサテライトくらいか。だから、財務次官の録音も文字のメディアでしか見てない。考えてみれば、秘書に暴言はいた女性議員の録音も聞いたことない。
それで仕事とかに差し支えないかといえば、まったく差し支えない。
財務省の文章改ざんは「そりゃダメだろ」と言うのはわかるけれど、愛媛県の職員の記録あたりから「何が問題なのか」が実はよくわからない。マスコミが「問題にしたがること」と「本当の問題」が決して一致しないことは、大概の人は気づいているだろう。
そして、財務次官と新潟県知事が女性問題で辞任したニュースになると、「何が問題か」は理解できるのだけど、この件について思考したり会話する気がまったくしない。
まあ、僕が会社員だったとして、社長があの次官のような発言をしていたら、「この会社辞めた方がいいかな」と思うはずだ。そういう人がトップになっちゃう組織って、どこか変なんだろうなとはつくづく思う。
そういえば新人で会社に入った時の社長も会長も、大蔵省出身だった。2人とも国税庁長官を務められた方だが、言葉に重みと含蓄があり「何か違うな」と感じたことを覚えている。
ホント、爺の戯言じゃないけど「隔世の感」って、こう言う時に使うんだなと思ったりするわけだ。
新潟県知事にしても、だいたい前知事の辞め方も不可解で、しかも原子力発電の絡みもある。裏がある、とか言うのは簡単だけど、さすがに陰謀論者としても相手にする気にならないレベルなんじゃないか。
だから、そういう報道を見ると心の中で「なんだかなぁ~」という感想にしかならない。だって、口に出して一所懸命批判したらしている方も馬鹿みたいだ。だから、周囲の友人や仕事仲間との世間話でも、こうしたことは話題にならない。
「なんだかなぁ~」 という言葉ってどういう時に発するんだろうか。とりあえず、その対象が「しょうもない」状況であるんだけど、その状況と自分の間には妙な距離がある。同じ世界の出来事だけど、まったく当事者感がない。
いや、官僚の腐敗は国民の利害に直結する、という方もいるだろう。しかし、「料理屋で女性記者相手にくだらないこと言っているオジサン」というのは、ただのダメな人だ。腐敗って言うのは悪人が登場しなくてはいけないが、ダメな人は悪人にすらなれない。
考えてみれば、サッカー代表の監督解任も、ザッカーバーグの公聴会も、僕にとっては「なんだかなぁ」という感じだ。
「なんだかなぁ~」 この言葉を心の中で発するたびに、自分と社会の距離は段々と遠くなってる。もし僕と同じような人がいるとすれば、「しょうもない世の中」と距離を置きたい人が増えているということなんだろう。
ああいうスキャンダル報道と言うのは「社会に目を向けさせよう」と良心から行われているのかもしれないが、皮肉なことに個人と社会との関わりを減じさせているのではないか。
そんなことを書いていると、猫が邪魔をしに来る。そして、猫の頭を撫でながら「なんだかなぁ」と呟く。
そうか、猫が人気になるというのはこういうしょうもない世の中だからなんだろうか。
なんだかなぁ。