ピアノを素材にした小説は多いけれど、音楽の本質まで深く描きこんだものとしては頭一つ抜けていて、「幻想曲」が鳴るシーンなどは読んでいて頭の中がガンガンとするようなインパクトだった。
その一方で、ミステリアスな構成が途中でフニャフニャになってしまったことも印象的だ。「純文学として読めばいい」という声もあるだろうが、あれだけ伏線を張ってミステリー仕立てにしたんだから、さすがにちょっと困る。
「着地が乱れた」というよりも、着地を忘れてどこかに飛んでいったような感じだった。それがまたこの人の持ち味かもしれない。
『雪の階』については、まずそうした心配は杞憂だった。600頁あまりの大作で、とはいえグングン引き込まれていく。「もしも、最後がああだったら」と言った不安はあったのだが、陰陽を転換させるような仕掛けも鮮やかで、「おいしいものをたっぷり頂いた」ような満足感だ。
舞台は、昭和初期の東京。2・26事件が迫るあの深々とした空気感が伝わってくる一方で、どこか虚しい美しさがにじみ出る。
主役の女性は華族であり、高級官僚や軍人、ドイツのピアニストなどが登場するが、この世界観が幻想的な雰囲気を醸し出す。決して明るい時代ではないけれど、こうした設定が小説世界にグンと引き込ませる。
心中の謎を追って、東京はもちろん、仙台から日光、そして富士に軽井沢と場所を転々として謎に挑んでいく筆運びは、松本清張を彷彿とさせる。そうえいば清張の遺作『神々の乱心』も戦前のこの頃を描いており、通じるものを感じた。
ただし、ミステリーとして論じるにはあまりにも破天荒だ。もちろんいい意味である。
ところが、この作品の登場人物は読者の予想を裏切るようにして縦横に動き回る。これもまた、いい意味での裏切りだから読んでいて心地よい。舞台設定は史実に準じているようでありながら、明らかに大きな嘘が小説世界を彩り、頭が混沌としていくのは何と楽しいことか。
これは、映像化しても何も面白くないだろう。自分の頭の中で、知らない人々が駆け回る快感は、小説を読むことのだいご味であることを改めて教えてくれる。
なお、本筋とは直接に関わらないのだけれど、新宿の花園神社に現れた女学生が「近くの第五高女」という設定になっていたのは驚いた。
というのも、この学校は僕の母校である都立富士高校の前身で、当時は新宿にあったのだ。後に中野に移転して、跡地はコマ劇場となった。いまは、ゴジラがいるホテルになっているところだ。
高校生の頃には、「第五高女校歌」を演奏したこともあるし、もちろん親しみを覚えるのだけれど、小説などのフィクションの設定で見たのは初めてである。
冒頭の方で、「外苑近くの松平侯爵邸を出て、斎藤実前首相の邸宅前を歩く」描写なども素晴らしいのだけど、こうした数々のディティールの巧みさもこの小説の魅力だと思った。