角館を経由して、峰吉川という駅で降りて温泉宿に行く。翌日は秋田市まで行って、一気に東京まで帰るルートだ。
秋田市は、初めてだ。それほど時間があるわけでもなく、雪もちらついたので、一巡りして駅ビルの中できりたんぽを食べた。一人分の小鍋で出てくる。
久しぶりだが、当地では初めてだ。昼だったけど、地酒をもらってゆっくりした。
鶏のだしがしっかりしていて、うまい。
そして、ふと思った。
きりたんぽは、米からできている。そして、米の酒を飲む。十分に合うのだけれど、あまりこういう組み合わせはないんじゃないか。
というか、他にあるんだろうか。
米の飯に合うものは、たいがい日本酒にも合う。魚だって、定食にもなればつまみにもなる。焼き鳥だって、米の上にのせれば丼だ。
しかし、「日本酒と米の飯」は同時に口にすることはない。餅と酒もそうだ。もっとも「酒を飲みながら飯を食う」という人もいるだろう。
ただ、日本人の食文化の基本構造として、「酒と飯」は一緒にならないというのは、専門家も指摘している。石毛直道氏の『日本の食文化史』などに詳しい。
このあたり、聖書に出てくる「パンと葡萄酒」の関係とはちょっと違うわけだ。
ところが、「きりたんぽと酒」というのは、普通に成り立っている。違和感はない。というか、相当においしい。これを考えた秋田県人は「米どころの酒好き」ということなんだろう。
しかも、秋田には「だまこ餅」というものもある。きりたんぽに入れることもあれば、別の鍋として食べることもあるらしいけど、もちろん米でできている。
お好み焼き屋の人口10万人当たりの店舗数を都道府県別に分析したデータがあるけれど、秋田を含めた東北が低位を独占している。
米以外にも食材はあるだろうが、何といっても米はたくさんある。まずは、米なんだろう。
そういえば、「せんべい汁」というのも、八戸だ。
「せっかく、これだけ米がおいしんだから、これを肴にして飲めないか」
きりたんぽを食べていると、そういうわけで「米どころの酒好き」の執念のようなものを感じる。
米で米を飲む。書いているだけで、また食べたくなってきた。
※ふと気になって調べると、家庭用も売っている。ただし、アマゾンのレビューを読むと秋田県人の魂の叫びが聞こえてくるようでおもしろい。