2017年12月アーカイブ

2017年が去ろうしている。

1年を振りかえる、といっても人間の記憶はついつい最近のことが印象に残る。何かの番組で「今年活躍した人」というアンケートをやっていたけど、大谷翔平が2位だった。

ケガなどもあり、もっといい成績の年はあるけれど、メジャーへの挑戦がニュースになったことで錯覚が起きたのだろう。

そんなこともあるので、今年印象に残った、というか無理やり残されたのは、相撲取りが右往左往する姿だった。

もう、あほらしくなって、普通のニュースすら見なくなったくらいだけど、ネタ枯れの年末まで引っ張ってNHKのトップを取るのだから、相撲協会も大したものじゃないか。

あの暴行によって、結果的に相撲取りは電波を、というかマスメディアを占拠した。

いい悪い以前に、まずは認知をとる。古典的メディア戦略だけど、あきれると感心するは紙一重だよ。

そういうわけで、今年終盤のメディアは相撲取りが怒涛の寄り身を見せたわけだが、別のところから、メディアの支配を狙っている奴らがいる。

猫だ。 >> 今年メディアを支配したのは、猫と相撲取りだった~『猫はこうして地球を征服した』の続きを読む



じゃあ、日本人はどうして現金が好きなのか?

簡単にいえば「現金」というものが「いい記憶」として保持されているからだろう。おカネがある、ということはありがたいことで、現金は誰もが交換の際に受け取ってくれる。

そんなこと当たり前だろ、ということになるかもしれないけど、それは国によっても違うだろ。

そのお金が「本物」であるとは限らない。信じていたお金の価値がどんどん下がってしまいただの紙切れになる。お金なんか持って歩いていたら、狙われてしまう。

そうした国では、「富は大切」だけれど、「現金が好き」ということにはならない。ところが、日本では現金が負の記憶と結びついていないのだろう。

それに、現金を持ち歩いてやり取りできるのが「いい社会」だ。そう信じている人も多いんだろうなぁ。

うちの近所の酒屋には、レジ脇に妙な枡がある。中に1円玉がギッシリなのだ。

ここには、いい地酒が揃っていてよく行くのだけれど、この1円玉は「足りなければ使ってください」というお金なのだ。

たとえば「1296円」支払う時に、手持ちの1円玉が3枚だったとする。そうした時に、あと3円をここから頂いて支払う。それでOKなのだ。

では、どんどん減るかというとそういうわけではない。客が補充するのだ。ある時に拝借したら、別の日には財布の1円玉を入れる。

僕もそうしているのけれど、そんなわけでこの枡の1円玉は特に減ることもない。

外税になって、何かと小銭が面倒なので電子マネーを使う人が増えたと言われる。しかし、この「1円玉フリー」のシステムだと、相当楽だ。

システム、と書いたけどまったく単純で原始的で、そこには何の新しいテクノロジーもない。

でも、相当に高度な信頼関係がないと成り立たないと思う。いつも拝借する客ばかりだったら、1円玉は底をつくだろうし、そうすれば店も続けられない。

僕は、この店に行くたびに「日本人の現金好き」の根っこを見るように思う。

スマートフォンなどによるシステムを作ることと、信頼しあう社会を作ることと、どちらが難しいのか。なあんて書くと、もういかん。

現金教の人々は、間違いなく後者を選ぶだろ。そして「財布を落としたら届けてもらった」という外国人旅行客のエピソードを聞いて、「やっぱり日本はいい国だ」と安心するに違いない。

そう考えると、現金崇拝の心理には妙な屈折があるのかもしれない。「やっぱり現金」と言う時の「やっぱり」には、新しいことに対する頑なな拒絶がある。

でも、その心理は日本の足を引っ張るのではないか。これからの数年で通貨の意味合いは世界規模で大きく変わるだろう。日本が現金中心のシステムに執着すれば、社会全体の不利益になるかもしれない。キャッシュレスを後押しする政策がもっとあってもいいだろう。

本当にいい社会であれば、支払い方法が変わったくらいで揺らぐことはない。そして、あの枡の1円玉はそれでもまだ残ると思うしね。



寒くなってくると、温泉宿に行くことが増える。伊豆や箱根は、「飽きた」というほど行っているわけでもないけど、別に一晩でそんなに散財する気もせず、もっぱら小さな宿へ行く。

そんな時に、気を付けなくてはいけないことがあって、まだまだ「カードが使えません」という宿が多い。旅の途中でコンビニを探して、現金を引き出すこともよくある。

こうした宿は、じゃ○んとからの受付もしていないことが多い。電話で、しかも受付時間が決まっていたり、宿なのに休業日があったりする。

予約サイトとクレジットカードの手数料を合わせれば、10%くらいになるんじゃないだろうか。それよりは、価格を優先しているということだろう。

そんな時は、仕方なく現金を使うが、大概の決済はカードを使っている。フリーランスなので、仕事用とプライベート用で分けているが、相当のカードユーザーだと思う。

世の中全体を見ても、キャッシュレスは進んでいるとはいえ、いまの日本はまだまだ現金好きだ。田舎の宿ならともかく、都心にある著名な料理店でもそういう店はある。ただ、この現金好きというのは、店舗側よりも客の側に理由があるようだ。

というのも、博報堂生活総研の調査で「キャッシュレス社会に賛成か」と聞いたら、賛否が真っ二つだったのだ。特に、女性は現金主義で、詳細を見ると若い方がさらに好きなのだ。 >> 日本人の現金好きって宗教なの?の続きを読む



同じ環境にいるのに、不満が多い人と少ない人がいる。

そして、不満の多い人は、自分を不幸だと自覚するだろう。それを口に出せば、聞いている人は幸福になれない。

そして、人が知らず知らずのうちに離れていくので、不幸は増幅される。

当たり前のことのようだけれど、クリスマスが近づくと、毎年のようにそんなことを思う。

クリスマス、あるいは日本の年末年始は、ある意味で「きつい」季節でもある。めでたくない人にとっても、社会が「おめでたさ」を強要する。ある意味で「喪中」というのは、賢い発想かもしれないが、クリスマスにはそれがない。

しかし、そこには「仕掛け」のようなものがある。それは、自分の境遇に関わらず、クリスマスを迎えることに「感謝する」ということだ。唐突かもしれないが、この時期に礼拝に行けばすぐにわかる。

クリスマスは、キリストの生誕を祝い、神に感謝する。その気持ちにおいて、人と人の間に隔たりはない。助け合いなどは、ごく自然なこととなるわけだ。

ところが、日本のクリスマスは「よくわからないけど何かしなけりゃ」という日だ。「何がめでたい」と思う人にとってはたしかにきつい。 >> クリスマスを前に考える、「感謝と不満」の深い関係。の続きを読む



広告を見ていると、ターゲットを読む癖がある。癖、というよりは半ば仕事だ。ことにTVCMはタレントや音楽などの情報量も多く、良くも悪くも「マス」を狙っているために、戦略が見えやすい。

いまは、企業の自社サイトや動画チャネルでCMを見られるから、大学の講義で読解するにも最適の素材だ。たとえば、ポカリスウェットの夏と冬の、一見バラバラのCMを見ていくだけで、商品ポジショニングとターゲットが浮かんできたりする。

ただ、こうしたCMが自分に、いや正確には自分たちの世代に向けられていると感じる時があって、それはそれで複雑な気持ちだ。

企業から、「あなたがお客さんだよ」と言われるのは、基本的に「買ってくれそうな人」ということだから、わるいことではない。呼び込みから声をかけられない、というのははなから諦められてるってことだよね。

ただ、「こうすればOK」って思われてるのか?という時もあるわけで、最近はそういう経験が多い。単純に書くと、「80年代」のネタが多く、細かく言えば「80年代体験」のようなものが狙われている感じだ。 >> CMに狙われる「80年代のオジサン」たち。の続きを読む