妻は友人と、映画館に行っている。ここ最近宝塚の公演最終日は東宝系の映画館でライブビューイングをしているのだ。いったい誰が考え付いたのか、阪急グループおそるべし。
今回のようにトップのラストデイともなれば、チケットもそれなりの稀少性があるようで、そりゃ、満席になる映画もそうそうないんだから興行的にも十分ありなんだろう。
最後の舞台は「神々の土地~ロマノフたちの黄昏~」と言うタイトルで、上田久美子が作・演出だ。僕は、10月19日の公演を見たが、歴史のダイナミズムと独特の切なさが絡み合ういい舞台だった。
宝塚は、さほど頻繁に観るわけでもないのだけれど、上田久美子さんの作品はとても楽しみにしている。
2014年の「翼ある人々」に驚き、翌年の「星逢一夜」に心打たれた。年初の「金色の砂漠」にはやや既視感があったのだが、彼女の書いた舞台については観るたびにブログに感想を書いている。
で、今回も、書こうと思いつつ忙しかったために気づいたら千秋楽になってしまった。
上田久美子さんは、歴史とりわけ西洋史については深い理解があり、芸術についても優れた視点を持っていると思っている。
今回のタイトルも、ワーグナーの「神々の黄昏」を髣髴とさせる。フランス革命に端を発した欧州の王朝の動揺が100年以上経ってロシアにもやってくる。宝塚が得意とする世界だけれど、上田久美子は甘ったるさを拒絶する。
ロシアのひんやりとした空気感もあいまって、歴史の非情さがヒシヒシと伝わる。
それにしても、ロマノフ王朝の末期もひどかったとはいえ、次の共産党の体制も1世紀ともたなかった。どちらも、「どこかダメな人」の空気がジワジワと漂っているけれど、それはある意味ロシア文学の人間くささにも通じるところがある。
たとえば「アンナ・カレーニナ」は、史上最強のメロドラマだと思うんだけど、とにかくで来る人がことごとく「どこかダメな人」ばかりだ。だからこそ、誰もが誰かに共感してしまうところがあるんだろうけど、今回の作品もそんなところがある。(除ラスプーチン)
誰もが理想を持ちながら、気持ちばかりが前のめりで、そこには「悲劇の女神」がたたずむ。そんなロシアらしさがにじみ出てきて、やはり上田久美子さんは史実をベースにしたストーリー作りがとりわけ長けていると思った。
舞踏会で悲劇を予感させる「白鳥の湖」のワルツが流れるが、その直後にピアニシモで聞こえるチャイコフスキーの5番など、音楽もまたきめ細かい。
朝夏まなとはすばらしい舞台で退くことができたのではないだろうか。ともにこの舞台が最後となる伶美うららの凛とした空気感も印象的で、きっと今日も熱気と切なさが交錯するいいステージになっているんだろう。
追記:そういえばこの公演中に「ロシア革命100周年」だったのだけれど、その辺りも狙ってこの題材選んだのかなぁ。