なんか、時間が経ってからコンサートのことを書くのも間が抜けているのだけれど、10月14日の新国立劇場「神々の黄昏」は、引っかかる公演だった。
歌手陣は総じて堅調だったのだけれど、オーケストラが乱調だった。というか、ホルンがブッ飛んでた。舞台裏のいわゆる「ジークフリートの角笛」のソロが、音を外しまくっていて、それも並の外し方ではない。
一幕でもひどく休憩時間に友人と呆れていたのだが、三幕でも相変わらずだった。
あれは、たしかに難しいし、重箱の隅を突っつくようなことは野暮だとは思う。
でも、あの動機は楽曲の核だ。重箱の真ん中にある料理が腐っているような話じゃないか。高音域が怪しいのはまだわかるけど、FからCへの跳躍ができないというのは、どうしたんだろう。
本来のホルン奏者が舞台裏で拉致されて、どこかの高校生が吹いているんじゃないか?とかそんな妄想が広がってしまう。
オーケストラは読売日本交響楽団で、東京では「安定したオケ」というイメージがある。
それだけに、何が起きたのかよくわからないまま演奏は終わってしまった。この日の読響はホルンだけではなく、アンサンブルが不安定だった。
音程やリズムも不揃いで、明らかにずれていることも多い。2年ほど前に聴いたシベリウスのコンサートを思い出すと、この不調は謎だ。
他の日を聴き比べているわけではないけど「たまたまこの日は」というのは、プロだったら言ってはいけないことだと思う。
それにしても、オーケストラのコンディションを維持するのは本当に大変なのだろう。いろいろ思い出すと、下野竜也氏がいた頃の方が締まっていたような印象があるのだけれど、それはよくわからない。
それにしても、日本のオーケストラっていろいろ難しいなと思う。
この30年くらいの間で言えば、水準は上がっているのはたしかだろう。ホールにも恵まれるようになった。
海外のオーケストラをありがたがる時代でもないことはたしかだ。来日するオケもいろいろだ。ただ「日本のオーケストラ」はまだ課題が山積みなのかもしれない。
一方で気になるのは、聴き手が「感動しやすくなっている」のではないか。なんというか「感動の沸点」が下がっている気がする。
最近だと、コンサート評をブログに書く人も減っているようで、終演後はもっぱらtwitterが盛り上がっている。ほとぼりが冷めた頃にこっそり覗いてみると、みんな感動している。
それはいいんだけど、やたらと「空前の名演」とか「生涯でベストのマラ5」とか、もうあなたは人生を何回生きているのか?のように感動過剰な印象もある。
あと、「高い海外のオケ」を聴くのは賢いことではなく、「日本のオケ」を聴く“べき”だという空気も一部にはあるように思う。
結局オーケストラの問題は、聴き手の問題かもしれない。それは「企業と顧客」や「政治家と有権者」にも似ていて、あれこれ書くうちになんかこれくらいにしておこうと思う。
でも、自分の街のオーケストラには期待したいのだ。