渋谷がダメになっているという話は、なんとなくあちらこちらで聞く。
ちょうど先日、渋谷がいつの間にか「池袋化」している理由という文があった。「情報が消費される街」を「池袋化」というセンスについては、まあ人それぞれだと思うけど、書かれている分析はまあそうかなとは思う。
文化発信拠点の消滅、アパレルの衰退、鉄道延伸と並べてみると、結局はハードの変化に左右されてたのか?という気もする。
渋谷には、週に一度大学の非常勤講師の仕事で足を運ぶ。宮益坂の上だが、若い人はこの坂を上るのが苦手なのか、落ち着いた雰囲気だ。ちなみに、ここでいう「若い人」は中学生から20歳くらいまで、つまり「10代」である。
大学3年生以上は「センター街は勘弁してほしい」という。つまり、「なんとなくにぎやかな街」を求めて渋谷には行ったのだが、あの中心部の雰囲気はもう卒業したいという感じだろう。
20代半ばくらいの社会人と話すと、「渋谷はおいしい店がない」という。30代以降になると、神泉から松濤の方に行く人もいるが渋谷を遠巻きにしている感じだ。
そして、サッカーやハロウィンの「グチャグチャ」を見て、「何だかなあ」と嘆いている人はたしかに多い。
ただ、最近気づいたんだけど、実は「渋谷がダメになった」わけじゃなく、またそれは若い人のせいでもないんじゃないかと思う。
実は、他の街が高齢化して、若い人を受け容れる街が渋谷くらいしかないんじゃないか?とも感じるのだ。
新宿はゴールデン街とかそれなりのお作法があるし、伊勢丹は妙に敷居が高くなった。吉祥寺はユザワヤができた頃から、すっかり落ち着いている。六本木は再開発で「国際化」して、若い頃に渋谷にいた人は、恵比寿は中目黒で落ち着いてる。銀座や日本橋は、昔からあんな感じだ。
つまり、どこもかしこも「大人の街」と称して、つまり客単価を上げようと必死になった。そこに、訪日客が押し寄せてきて、どの店も彼らの方を向く。
そうなれば、若い人の居場所は段々と狭くなるから、渋谷以外の選択肢がなくなっているんじゃないかと思う。
東横線直通化以降の渋谷駅はたしかに乗り換えにくいが、もともと坂が多く、歩道橋を強いられ、何かと体力のいる街だ。そうした構造が、一定年齢以上の者たちを自然に排除する仕組みがあった。
ただし、行き場のない10代が集中する一方で、ちょっと稼ぐようになった20代が卒業したことで今のような感じになったんだろう。
だから、渋谷が悪いわけでもなく、それは若者のせいでもない。それは、高齢化の中で「脱若者志向」を目指した街が増えたことの反映じゃないか、と感じるのだ。
だから「昔の渋谷」と比較して、「凋落」と決めつけるのも、年寄りの戯言かもしれない。文化というのは、そもそも流れ続けるものなんだから。