2017年09月アーカイブ

昨日、クルマの定期点検をしてタイヤを交換した。

この夏に結構走り回ったせいか、一気に傷んでいたようで、信じられないほどの快適さだ。新車を買ったり試乗して「いいな!」と感じる心理のほとんどが、実は「新しいタイヤ」が理由なんじゃないだろうかと思ったほどだ。

そのまま青山の銕仙会で能を見て、さて帰ろうと思ったが、時計を見ると21時前だ。久しぶりに走ってみようかと思い、高樹町から首都高速に乗ってC1からレインボーブリッジを抜けて湾岸からC2、江北からS1に抜けて1時間弱。

マーラーの7番「夜の歌」を聴きながら走ったんだけど、最近はこういうことやってなかったな。数年前までは、夜に思い立って首都高をグルグル走っていたのだ。

1人になって気分を切り替えるのにちょうどいいし、仕事のことを考えたりして適度に疲れるので、なんか寝つきもいい。

そういえば、学生の頃には「煽られるようなクラシック」を編集して、カセットで聞いていた。「夜の歌」やプロコフィエフの5番のフィナーレ、あるいはホロヴィッツの弾くリストとかだったと思うけど、危ないのはワーグナーのローエングリン「3幕への前奏曲」だ。

気がつくと、アクセルを踏んでしまうので最近は自重している。 >> 夜の首都高を1人で走りながら「モノ・コト・ネット」などについて考えてみる。の続きを読む



高校野球には殆ど関心がない。ずっと前からそうだ。特に理由はなく、毛嫌いしているわけではない。自分がいた高校に硬式野球部がなかったこともあるんだろうか。

まあ、そういう僕が知っている高校野球の話題というのは、相当凄い話なんだろう。早実の清宮選手の話題はその一つで、明日記者会見をして進路を表明する、という話なんかをさっき知った。

そして、ずっと気になっているのが彼の本塁打記録に関する表記だ。いつの間にか「高校野球史上最多とされる通算本塁打」という言い回しだ。

ううむ、なんかムズムズする。この違和感の正体は「とされる」だ。

「最多本塁打」ではなく「最多とされる本塁打」というのは、なんなのかというと、どうやら公式の記録があるわけでないことが理由のようだ。

これはネットで調べると同じようなことが書いてあるが、主催者の朝日新聞のサイトにもこう書かれている。

「高校生の通算本塁打数とは、公式戦と練習試合を合わせた本数になっている。チームのスコアブックで確認できる場合もあれば、記者の取材に選手自身が答えたものもあり、各都道府県の高校野球連盟が把握する公式の記録ではない。」

だから「とされる」が定着したんだろう。いつからかはわからない。ただ、いろいろな事情があって気がついたらこうなっていた。普通に「通算本塁打記録」と書けば、いろいろな意見が出てくることは想像できる。 >> 「高校野球史上最多とされる」に、ムズムズするんだけど。の続きを読む



バイエルン国立管弦楽団 特別演奏会 

指揮:キリル・ペトレンコ ピアノ:イゴール・レヴィット

2017年9月17日 東京文化会館 大ホール

ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 op.43/ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」より「愛の死」(アンコール)/マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調

 

演奏も鮮烈だったけれど、それ以上に印象的だったのがオーケストラの表情。

それって、「音楽の表情づけ」の話ではなくて、出演者の「顔」そのものがとても幸せそうだったということだ。

1階の8列目ということもあったけれど、フィナーレの最後に近づいたころ、トランペット奏者の顔が微笑んでいることにきづいた。ふと見ると、表情がほころんでいる奏者があちこちにいる。

管楽器奏者は笑いながら吹けないが、休んでいる時になぜか嬉しそうだ。終演後に指揮者が去り、コンサートマスターが帰るしぐさを見せると、弦楽器奏者はプルトの隣り同士でハグ。舞台も客席も、みんなが「幸せになるコンサート」だった。

そして、その幸せの源はペトレンコだったと思う。

指揮は時には相当大胆で、左手を「野球の3塁コーチ」のようにグルグル回したり、金管に向かって「両手で黒板拭き」のように振ることもある。

ベルリンフィルのデジタルコンサートホールで見ると、顔芸も相当だ。感情のうねりを最大に表現しながら、アンサンブルを破綻させることなくグイグイと進める。

ラトルのような主体性を引き出すおおらかさや、アバドのように憑依された凄さとも違う。いつも、自分が「音楽の真ん中にいる」という意味では、雰囲気や音作りは全く異なるけれど、ある意味カラヤンに近いのかもしれない。

ベルリンフィルの次期指揮者ということもあって、ついついそんな比較をしてしまうが、それはあまり意味がないだろう。

ペトレンコは、空間を共有する人を幸せにする「何か」を持っている。また1楽章の最後の方で、ホルンのゲシュトップをキッチリ鳴らすなど、スコアの読み込みもしっかりしている。「なにかしてくれる」期待感があるから、また聴きたくなる指揮者だ。

ただ、終わった時の興奮が揮発していくスピードが意外と速いようにも感じる。上野の山を降りる頃には、「どこがどうだったか」がスーッと消えていく。個人的にはヤンソンスやバレンボイムが「揮発が遅い」指揮者なんだけど、それは良しあしというよりもまさに個性なのだろう。

なお、ラフマニノフのあとにレヴィットが弾いた「トリスタンとイゾルデ」が、魂を抜かれるような演奏だった。このアンコールに唖然茫然とした人も、また多かったんじゃないだろうか。



渋谷がダメになっているという話は、なんとなくあちらこちらで聞く。

ちょうど先日、渋谷がいつの間にか「池袋化」している理由という文があった。「情報が消費される街」を「池袋化」というセンスについては、まあ人それぞれだと思うけど、書かれている分析はまあそうかなとは思う。

文化発信拠点の消滅、アパレルの衰退、鉄道延伸と並べてみると、結局はハードの変化に左右されてたのか?という気もする。

渋谷には、週に一度大学の非常勤講師の仕事で足を運ぶ。宮益坂の上だが、若い人はこの坂を上るのが苦手なのか、落ち着いた雰囲気だ。ちなみに、ここでいう「若い人」は中学生から20歳くらいまで、つまり「10代」である。

大学3年生以上は「センター街は勘弁してほしい」という。つまり、「なんとなくにぎやかな街」を求めて渋谷には行ったのだが、あの中心部の雰囲気はもう卒業したいという感じだろう。

20代半ばくらいの社会人と話すと、「渋谷はおいしい店がない」という。30代以降になると、神泉から松濤の方に行く人もいるが渋谷を遠巻きにしている感じだ。

そして、サッカーやハロウィンの「グチャグチャ」を見て、「何だかなあ」と嘆いている人はたしかに多い。

ただ、最近気づいたんだけど、実は「渋谷がダメになった」わけじゃなく、またそれは若い人のせいでもないんじゃないかと思う。 >> 渋谷は「ダメになった」わけでもないし、若い人のせいでもないと思うわけ。の続きを読む



もはや、広告制作の現場で仕事することは殆どないけれど、だからこそというか、「どうしてこの企画になったんだ?」といろいろ想像したくなることはある。

大概の場合「企画書が透ける」ような感じで、ミランダ・カーが黒烏龍茶に出れば「ああ、ターゲティング変えてきたな」と大変わかりやすいので、講義などでは重宝する。もっとも、そのまま烏龍茶に出てきて「口さっぱり。息すっきり。」とか言われると、ポジショニングが迷走してるんじゃないかと心配にもなるが、まあ、意図は読める。

で、最近気になっているのがとあるタワーマンションのコピーで、それは「日本一、感じのいいタワマンへ」という物件だ。場所は東京の武蔵小山というあたり。

そもそも、少しでも広告制作にかかわった人なら「最上級表現」には敏感なはずだ。「ナンバー1」とか言う時は、根拠を明示しなくちゃならない。

しかし、どうやったら「感じのいい」という感覚をランキングできるのか。よく見ると「日本一」というコピーの脇には、※1という表記がある。

で、下の方にはこの再開発プロジェクトの「気持ち」みたいなことが書いてあって、「日本一、いつまでも愛されるまちづくりを目指します」ということだった。まあ、目指すなら公取委も文句言わないだろうけど、そこまでして「日本一」にこだわる執念はなぜなのかも気になる。

そして、わざわざ「感じのいい」という言葉を選んだことが一番気になる。ということは、タワーマンションと言うのはそれなりに「感じの悪い」ものがあるんだろうか。建物が威圧的で感じが悪いのか、住んでいる人に何か特徴があるのか。プレゼンテーションで、そんなこと言ったのか。いや、いろんな切り口からこの物件を「感じがいい」と定義して、しかも日本一を目指すというのは、どんな企画書だったんだろ。

まあ、どうでもいいことかもしれないけど、一度サイトを覗いてからやたらと広告を見るとの、そのたびに気になってしょうがないのだ。

で、さらに個人的に気になるのが「タワマン」だ。というのも、タワーマンションを「タワマン」と略すことが、僕の感覚だとあまり「感じがいい」とは思えない。

横文字をカタカナにしてそれを縮めるのは日本語の得意技だし、エアコンとかミスチルとか昔からあるけど、最近で気になるのは「スマホ」「コスパ」「タワマン」で、これはなんだか引っかかる。

理由は分からないけど、こればっかりは感覚的なものなので、どうにも説明しようがない。ちなみに「ファミコン」や「パソコン」はまあいいんだけど、「スパコン」は違和感があるんだよな。

というわけで、「感じのいいタワマン」という、個人的にはあまり感じのよくない語感の物件はどうなるのか。別に個人的には何の関係もないんだけど、なんか引っかかっているのだった。