2017年07月アーカイブ

この本のタイトルを見た時に既視感を覚えた人はいるんじゃないだろうか。そう、佐野眞一氏の『誰が「本」を殺すのか』という本が話題になったことがある。

作り手と売り手、そしてチャネルなど業界関係者の意識変化がなかなか進まないままに、気がついたら風景が一変していた――そういうところは、出版とアパレルの両業界に類似点はあるかもしれない。

しかし、「誰が」という問いに対して犯人を特定することは難しい。何に近いかというと、『オリエント急行の殺人』のようなところだろうか。もっとも、服そのものに罪があるわけじゃないのだけれども。

この本の中に書かれていることは、まったくその通りだと思う。また、終章に描かれている、新たなチャレンジャーの方向性も納得できる。しかし、それ以前に市場が一段と縮小していくのは避けられないと思う。

それは、景気とか少子高齢化とは全く別の動きなのではないだろうか。カンタンに言うと、「自己表現する」あるいは、「顕示欲求を満たす」手段として服の役割が終わりつつあるんじゃないか。

少なくても、日本ではそうだと思うし、先進国の状況は似ているように感じている。

「服を着る」ということ自体は、人が生きていく上で「道具」として必要なものだった。それが、どのようになったかは、「ご覧の通り」としか言いようがない。

そして、衣服はある時代から社会学や哲学の研究対象となっていく。「モード」を語ることは、人のあり方を語ることのような時代もあった。というか、そういう人もたくさんいて、普通に暮らしてセールを追っかけるくらいの人たちも、彼らの分析対象になっていた。

それほど、人々はファッションにおカネを使っていた。 >> 【書評】『誰がアパレルを殺すのか』~”貴族の模倣”が終わる時。の続きを読む