2017年06月アーカイブ
金曜日の昼頃、とある店でランチを待っていると近所の会社員のグループが入ってきた。
その少し前にニュースで伝えられた、とある人の訃報が話題だった。長く闘病生活を続けていたこともあり、話題になること自体は普通の流れなのだろう。
比較的大きな声で話しているのか、その声が聞こえてきた。
若くして亡くなったその方、あるいは残された家族への「お悔み」のような会話もそこそこに、年配の男性が自らの家族の経験について話し始めた。送ってから時間が経つのか、屈託なくその頃のことを語っている。「転移」とか「結局は」とかそんな言葉が耳に入る。
程なくして、一緒にいた人もいろいろと話していた。
人の訃報を語る、というのは結構難儀なものだなと思った。
どうやら、彼らの身近な人の中で、いま現在患っている人はいないようだ。しかし、もしその周辺にそうした人がいたらどう感じるのだろうか。やはり、病にまつわる話はもう少しひっそりと話した方がいいのかもしれない。
実は、そういう思いをしたことがある。数年前、父が他界してようやく落ち着いた頃のことだ。とある店で食事をしたのだが、隣に医療関係の仕事をしている女性ばかりのグループがいた。
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