2017年06月アーカイブ

「業界人」という表現があって、マスコミや広告業界、あるいは芸能界辺りのイメージだったのだろうか。いわゆる「業界ことば」といえば、その辺りの業界を指すわけで、なんとなく一般化した。

「パイセン」とかはSNSでもよく見るけど、この手の言い回しは、最近の業界人はあまり使わないようにも思う。まあ、広まり過ぎたんだろうな。

ただ、最近でもメディアや広告まわりの業界では、「ちょっと違った言い回し」というのは。たしかにある。

この間、ふと気づいたんだけど、こんな感じ。

「あの、映画見た?」

「見れてません」

「見れてません」じゃなくて、「見られてません」が正しいだろ、とかそういう話ではない。まあ、「見れて」は誤用だと思うが、そこじゃない。

どうして「見てません」じゃなくて、「見れてません」と「可能(不可能)」の助動詞をつけるのか。つまり「自分の意志で見てない」のではなく、「見たいけれど何らかの事情で見ることができない」というニュアンスなのだろう。

そして、「見ることできない」事情のほとんどは「忙しい」からだと推察できる。

「実は先週アニサキスの中毒で、七転八倒で映画どころじゃなかったんです」そんな話になることは滅多にない。

というわけで「ホントは見なきゃいけないんだけど、忙しいんですよ、お察しください」という言い訳を一瞬で行っているんじゃないか。

だから「見れてない」と、いうわけだ。 >> なぜ業界人は「見てない」ではなく、「見れてない」というのか?の続きを読む



先日読んだジェフリー・ディヴァーの『扇動者』(文藝春秋)は、内容も面白かったのだけど、細かい描写がいかにも現代だった。警察関係者が捜査会議をしている時に、勝手にスマートフォンをいじっている場面が結構出てくる。

それが、場の心理を絶妙に表現しつつ、後で考えてみるとちょっとした伏線にもなっているのだが、まあ世界のどこでもスマートフォンはなかなか手放せないだろう。

この小説の場合はスマートフォンの描写がリアリティを高めるのに効果的なのだけれど、現代の人間をそのまんま描写すると、身も蓋もなくなる。ハードボイルドの小説で、探偵がバーカウンターでスマートフォンをいじっているわけにはいかない。

また、古典小説に無理矢理スマートフォンを登場させると、どうなるか。

「クトゥーゾフはくたびれた目でデニーソフをながめはじめ、腹立たしそうな身振りでスマートフォンを見ると、彼の言葉を繰り返した」

「彼が見ていた家から、本当に、デニーソフが話しているあいだに、スマートフォンを片手に将軍が姿を現した」 >> 漱石の小説に無理矢理「スマホ」を登場させてみる。の続きを読む



歴史小説は、嫌いではない。というか、特定ジャンルの小説ばかり読むわけでもないので「まあ好きなものの1つ」というくらいだろうか。このカテゴリーのおもしろいところは、結構歳を重ねてからデビューされる人も多いことだと思う。

『会津執権の栄誉』(文藝春秋)を描かれた佐藤巖太郎氏も、1962年生まれで2011年にオール読物新人賞を受賞している。加藤廣が連載していた『信長の棺』を発刊したのは、なんと75歳だ。

新聞記者だった司馬遼太郎がデビューしたのは36歳のことだが、72で没しているので後半生のみで、あれだけの作品を書いたことになる。若くして書いていたら、と思わずにいられないが、やはり歴史小説を書くには「絶対年齢」が影響するところはあるのだろう。

ことに生死が紙一重の世を生きていた者たちのリアリティは、それなりに人生経験を重ねた者でないと表現が難しいのだろうか。

いや、年寄りくさい話になったけれど、この小説は構成が緻密で人物もクッキリ描かれていて、かつちょっとしたミステリアスな趣向もある。 >> まだ戦国には鮮度がある~『会津執権の栄誉』と『駒姫』【書評】の続きを読む



金曜日の昼頃、とある店でランチを待っていると近所の会社員のグループが入ってきた。

その少し前にニュースで伝えられた、とある人の訃報が話題だった。長く闘病生活を続けていたこともあり、話題になること自体は普通の流れなのだろう。

比較的大きな声で話しているのか、その声が聞こえてきた。

若くして亡くなったその方、あるいは残された家族への「お悔み」のような会話もそこそこに、年配の男性が自らの家族の経験について話し始めた。送ってから時間が経つのか、屈託なくその頃のことを語っている。「転移」とか「結局は」とかそんな言葉が耳に入る。

程なくして、一緒にいた人もいろいろと話していた。

人の訃報を語る、というのは結構難儀なものだなと思った。

どうやら、彼らの身近な人の中で、いま現在患っている人はいないようだ。しかし、もしその周辺にそうした人がいたらどう感じるのだろうか。やはり、病にまつわる話はもう少しひっそりと話した方がいいのかもしれない。

実は、そういう思いをしたことがある。数年前、父が他界してようやく落ち着いた頃のことだ。とある店で食事をしたのだが、隣に医療関係の仕事をしている女性ばかりのグループがいた。
>> 人の訃報を、語るということ。の続きを読む



50代は社員は使えない。そんな記事がちょっと前に出ていた。

自分も50代で、別に会社員ではないけれど、ちょっと気になる。ただ、この手の記事の背景にはいろんな事情もある。

だって、ハッキリ言って「50代社員が素晴らしい」という時代があったんだろうか?延長されたとはいえ、基本的には60歳が定年で、その数年前に役職定年という会社も多い。役員になるのはごく一部だ。

50代の社員というのは、そもそもそういう立場になる。キャリアを畳む時期なのだ。そして、金融危機を越えたこの数年間の企業業績は全般に良好で、かつ人手不足だ。

そこで、かつてであればリストラされていた50代も、そのまま職場にいたりする。

そういわけで、そんな50代を責めなくてもいいじゃないか、と言ってみたいけれど、とはいえ50代にも問題はある。

それは、50代というか40代後半くらいからジワジワと「逃げ切り願望」が生まれてくることじゃないだろうか。

僕が30代後半の頃に、同僚と話していたことを思い出す。10年以上も年上の先輩のことを「彼は逃げ切ろうとしている」と言ったら、同年代の周囲が「そうそうそう!」と言っていた。 >> 「逃げ切りたいミドル」になりたくないなら、30代が大切。の続きを読む